ドバイ基礎知識~今、世界で一番ゴージャスなドバイを知ろう!~

悠輔


ドバイ

 

今、世界で最も経済成長が期待されている都市ドバイについて基本情報を概説します。中東のアラブ首長国連邦(UAE)の都市ドバイは、産油依存から脱却し、世界の金融・流通市場都市として発展しています。そのドバイとはどんな所か?ドバイ入門として最適なエントリーです。

 

■ドバイの基本情報

① 中東の中心に位置

ドバイは中東地域のほぼ中央、ペルシア湾に面した砂漠の地にあり、面積はアラブ首長国連邦(UAE)の構成 7 首長国中第 2 位にあたる約 3,885km²です。北はシャルジャ首長国、南はアブダビ首長国、東は国境を隔ててオマーン国に接しています。

街は東西に流れる運河を軸として大きく 2 つに分かれています。『ハウル・ドバイ』(ドバイ・クリーク、awr Dubayy)という川を軸として、北側を『デイラ』 (Deira) 、南側を『バール・ドバイ』 (Bur Dubai) といいます]。ドバイはこのクリークを港として使用することで成立した都市であり、この二つの地区はドバイ成立時からの市街地として旧市街を形成しています。

ドバイの北はシャルジャ首長国との境界線に近接していますが、南のアブダビ首長国との境界線は市街からかなり南に位置します。このため、ドバイでの大型開発はこの地域で行われることが多くなっています。

 

南部は大型開発が目白押し!

 

バール・ドバイの南にはUAE を貫く幹線道路であるシェイク・ザーイド・ロードが走っており、道の両側には 2012 年現在世界一の高層ビルであるブルジュ・ハリーファをはじめとする高層ビルが林立しています。市街の南西にはリゾートエリアであるジュメイラ・ビーチ地区が開発され、高級ホテルブルジュ・アル・アラブや、「パーム・アイランド」や「ザ・ワールド」、「ジュメイラ・アイランズ」といった人工島群が建設されています。さらにその南西にはジェベル・アリー港が建設され、工業地帯となっています。

② 亜熱帯性砂漠気候

ドバイは亜熱帯気候(ケッペン気候区分では砂漠気候)に属し、夏冬の二季しかありません。

ドバイ入門今、世界で一番熱い都市国家ドバイを知ろう!

 

気温50℃を経験したことがありますか?

 

ドバイでは夏季には、気温が 50℃を超えることもあり、しばしば 100%の湿度を観測します。逆に、11 月から 3 月の冬季にはしばしば肌寒くなり、冬季は砂嵐が発生することもあります。冬季の平均気温は 20 度前後で過ごしやすく、観光業においてはハイシーズンとなっています。

③君主制政治

ドバイは世襲式の君主制を採用しています。現首長はムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム アール・マクトゥームです。議会選挙は行われておらず、結党の自由も認められていません。ドバイは UAE の連邦国民評議会(定数 40)に 8 議席を持っています。

 

現首長は辣腕!

 

UAE の副大統領は 1971 年の連邦結成以来、マクトゥーム家から出ており、現首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームも現在連邦副大統領の職にあります。

 

④薄いイスラム色

1980 年に 28 万人足らずだった総人口は、その後 15 年間で約 2.5 倍に膨れ上がり、1995 年に約 70 万人、2011 年には約 200万人となっています。

人口の90%が外国人であり、半数以上がインフラ整備のために低賃金で働くインドやバングラデシュなどから来た出稼ぎ労働者で構成されています。殊に『世界で最も美しいインド人の町』と言われるほどにインド人が多く、『もはやアラブの都市にあらず』と言われています。

 

ドバイは外国人の街

 

国語はアラビア語、官公庁公文書もアラビア語ですが、英語、ヒンディー語(インド人)、ペルシア語(イラン人)なども多く会話に用いられるています。

イスラム教を国教とするUAE にありながら、非イスラム教徒の外国人が多く住むドバイは、イスラム色の薄い、宗教的制約の極めて薄い都市となっています。飲酒、服装、娯楽、食生活についての制約は少なくなっています。イスラム教で禁じられている飲酒についても、ドバイでは許可されたホテルやレストランがあり、警察署の発行する許可証があれば酒類を市中で購入することもでき、国外からの持ち込みも可能です。

ドバイワールドカップ等競馬が開催されていますが、ギャンブルは禁止されており馬券の発売はありません。しかし、複数のレースの予想をし、成績上位者に賞金・賞品が当たるプレイカードが無料で配布されています。


■ドバイ急成長の歴史

①貿易都市として出発

1830 年代にバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村だったこの地に移住し、ドバイ首長国が建国されました。その後、1853 年に他の首長国と同時にイギリスの保護国となりました。

 

中継貿易港として発展

 

ドバイは、東インド会社に到るための中継地として栄え、20 世紀になると、自由貿易政策により、周辺地域の商人達の拠点として、中継貿易港として発展しました。一方、もうひとつの経済の柱であった真珠採取は 20 世紀初頭に日本で養殖真珠の開発が成功したことから産業として成立しなくなり、ドバイの経済に打撃を与えました。これに当時の世界不況が重なって社会不安が高まり、1938 年には首長派と反首長派の対立を経て、議会の開設、行政改革、議会の解散と混乱しました。

ドバイ沖の油田発見 第二次世界大戦が終結し、この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首 長ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥームは、1959 年のクウェートからの借金 をもとに、ドバイ・クリークの浚渫工事等社会資本の近代化を図り、中継貿易港とし てのインフラ構築に成功して、以後の大発展の基礎を築きました。1958 年アブダビ 油田発見に続き、1966 年ドバイ沖でも油田が発見され、ドバイ発展に大きな力を与 えました。

 

ドバイ沖の油田発見

 

第二次世界大戦が終結し、この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首長ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥームは、1959 年のクウェートからの借金をもとに、ドバイ・クリークの浚渫工事等社会資本の近代化を図り、中継貿易港としてのインフラ構築に成功して、以後の大発展の基礎を築きました。1958 年アブダビ油田発見に続き、1966 年ドバイ沖でも油田が発見され、ドバイ発展に大きな力を与えました。

②金融都市への発展

1971 年イギリス軍のスエズ以東からの撤退に伴い、同年 122 日他 6 首長国とともにアラブ首長国連邦を結成し、副大統領兼首相となったラーシド首長を指導者に据え、原油依存経済からの脱却の取り組みと産業の多角化を進めて行きました。

 

インフラ整備による人と物の集中

 

1981年開設した経済特区『ジュベル・アリ・フリーゾーン (JAFZ) 』と大型港湾、ナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の就航開始は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促して行きました。

1970 年代からわずか約 20 年のうちに、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDP の伸びは 30 倍に達するなど、ドバイは激変しました。

2003 年以降は、2004 年後半からの原油高に後押しされ、特に急成長しています。2007 年度経済成長率は 18 % と高成長率を見せ、2010 年名目 GDP820 億米ドル(約 6.5 兆円)にまで達しています。人口 200 万人を超えたドバイは都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っています。


リーマンショックとドバイショック

 

2008 年後半アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界経済の低迷により、これまで急激な勢いで伸び続けてきたドバイも大きな影響を受けました。外資企業の撤退、地元企業の資金繰悪化、多数の建築工事や計画の中断、外国人労働者の失業、経済低迷、観光客減少などがありました。

さらに 200911 月には、ドバイ政府が欧米系金融機関に対して、政府系不動産開発会社「ナキール」社とその持株会社の「ドバイ・ワールド」社 持株会社の「ドバイ・ワールド」社の債務約590 億ドルの支払猶予を求めると発表、「ドバイ・ワールド」社及びドバイ政府自体の債務不履行による欧米系銀行の債権焦付きが懸念され、ユーロが売られるなど「ドバイ・ショック」と呼ばれる事態となりました。

 

ドバイ金融市場の株価も大幅に落ち込みましたが、「中東の金融センター」としての地位はゆるぎなく、2020 年には中東初の万国博覧会と 2020 年夏季オリンピックの開催地になることを目指しています。 なおシティグループの試算によると、ドバイの 2010 年の GDP2540 億ディルハム(約 6 兆円)であり、ほぼ滋賀県と同じ経済規模です。また 2012 年には 2828 億ディルハム(約 6.6 兆円)になると予測しています。


■魅力的なドバイの経済環境

①産業の多角化

ドバイは、石油埋蔵量が少なく石油依存型経済からの脱却を志向せざるを得ませんでした。特に 1980 年代の半ば頃から『産業の多角化』を積極的に進め、中東における金融と流通、および観光の一大拠点となるべくハード、ソフト双方のインフラストラクチャーの整備に注力しています。

1985 年に開設した『ジュベル・アリ・フリーゾーン (JAFZ) 』は、外資直接投資や外国人労働者雇用の自由を完全に保障する経済特区で、外国企業や資本の進出を促進しました。日本やイギリス、アメリカなど世界各国の大企業がドバイに進出、市内や一大リゾートエリアとして開発されたジュメイラ・ビーチ周辺には超高層ビルや高級ホテル、別荘などが立ち並んでいる他、多くのショッピングモールやテーマパークが建設されています。他方、現在ドバイショックの影響で多数の建築工事や計画の変更、見直しが行われているのも事実です。

 

石油依存経済からの脱却に成功

 

この様な状況下、一次産業の占める割合は減り続け、GDP に石油の占める割合は既に 6%以下となっています。

②中東の金融センター

ドバイ政府の戦略が功を奏し、1980 年代には早くも中東における一大流通拠点としての地位を獲得しました。その後も世界の主だった金融機関が進出してきたことから、ドバイは名実ともに中東の金融センターとしての位置を占めることに成功しました。このため「中東のシンガポール」と呼ばれることもあります。

 

金融センターとしてのポジション

 

2012 3 月、英国シンクタンクによれば、ドバイは世界第 29 位の金融センターと評価されており、中東では第 1 位となっています。ドバイの証券取引所であるドバイ金融市場 (DFM) の全上場企業の時価総額の合計は、20122 月現在、約 490億ドル(約3.8 兆円)であり、東京証券取引所の約 1%程度となっています。

③ドバイショック

ここで前述のドバイショックについて詳しくみてみましょう。

2009 1125 日、ドバイ政府が、ドバイ・ワールドの債権者に対し、590 億ドル(約 5 兆円)にのぼる全債務について返済期限を 6 か月以上繰り延べることを認めるよう要請することを発表しました。

 

ドバイ・ワールドは、ナキール・タワーなどの超高層ビル建設や人工島パーム・アイランド造成などの大規模開発を手がける不動産開発デベロッパーのナキールなどを保有する政府の持株会社です。

ドバイ政府はドバイ・ワールドと、その傘下のナキールなどの企業を含めた事業の再編に動き、その手始めに返済延期を要請することを発表しましたが、これはドバイ政府が政府系企業への財務支援を適切に行うことができなかったことを意味すると受け止められ、各格付け会社は 25 日ドバイの債務格付けを引き下げました。ナキールと並ぶ不動産デベロッパーであり、世界で最も高い超高層ビルであるブルジュ・ハリファを開発したエマール・プロパティーズも、ムーディーズによる格付けが非投資適格(ジャンク)級に引き下げられました。

 

格付け引き下げによる世界金融への影響

 

1126 日の欧州株式市場では、ドバイ政府が債務不履行を起こすリスクや、ドバイへの出資を積極的に行ってきた欧州金融機関の債権焦げ付きへの懸念から、銀行株を中心に株式相場が急落しました。その影響は米国や日本など世界中の株式市場に拡大し、日本でも、中東などでの海外事業を拡大してきた大手ゼネコンなどを中心に株価が大幅に値下がりしました。

これにより、ドバイのみならず、アラブ首長国連邦や他の湾岸諸国に対する信用は急低下しました。ドバイ政府は、政府債発行による資金調達などの対応に務めましたが、その後も資金調達が難航すれば、金融市場への影響はさらに拡大する懸念が指摘されています。

 

世界的金融センターへの道

 

もっても、ドバイショックは見方を変えれば、ドバイの世界中の金融市場への影響力の大きさを実感させられる出来事でした。国際金融市場において、ドバイはもはや「中東の金融センター」の域に止まらず、最重要プレーヤーの一角を担うほどに成長していることを示しています。

 

■ドバイ観光の魅力

①世界有数の観光都市

ドバイは世界有数の観光都市に成長しています。2012 年にマスターカードが公表した統計によると、世界で 8 番目に外国人旅行者が多く訪れる都市であり、中東では随一となっています。

現在は観光を軸とした一貫した政策のもとで、ジュメイラビーチの人工島に建設された世界最高級の高層ホテルである「ブルジュ・アル・アラブ」などの高級リゾートホテルや中東地域最大のショッピングセンターの建設、人工衛星から見える唯一の人工島群である「パーム・アイランド」や「ザ・ワールド」、「ジュメイラ・アイランズ」、「ドバイウォーターフロント」、「ジュメイラ・レイク・タワーズ」、「ドバイ・マリタイム・シティ」、「ドバイ・メディア・シティ」、「ドバイマリーナ」、砂漠の人工スキー場「スキー・ドバイ」 「ドバイ・メディア・シティ」、「ドバイマリーナ」、砂漠の人工スキー場「スキー・ドバイ」など、各種観光資源の開発に力を注いでいます。

また、競馬の国際GI「ドバイワールドカップ」がメイダン競馬場にて開催されている他、モータースポーツやゴルフ、マリンスポーツの世界的な大会の誘致が積極的に行われています。

 

ショッピングとアミューズメントの宝庫

 

2007 10 月現在、ドバイには 46 のショッピングモールがあります。200810月には世界最大規模のショッピングモール「ドバイ・モール」が正式オープンしました。現在、世界最大のテーマパークである「ドバイランド」が 2015 年から 2018 年の開業に向けて建設中です。ドバイランドにはユニバーサル・スタジオ・ドバイランドやドリームワークス・スタジオ・テーマパーク、アメリカのアミューズメント・パークの中東初進出となるシックス・フラッグス・ドバイランドも入る予定 出となるシックス・フラッグス・ドバイランドも入る予定です。

 

②発達中の交通インフラ

また「中東の交通のハブ」となるべく航空インフラの充実に力を入れ、エミレーツ航空が世界のすべての大陸との間を結んでいる他、世界各国から多くの航空会社が乗り入れています。

1960 年に開港したドバイ国際空港では、2008 年に巨費を投じた最新鋭の第 3 ターミナルが完成しました。更に、アール・マクトゥーム国際空港(ドバイ・ワールド・セントラル国際空港)の建設にも着工。4,500m の平行滑走路 6 本を持つ世界最大の空港となる予定です。

 

最新鋭の国際空港、国際港、市内鉄道の整備拡充

 

こうした努力の甲斐もあり、近年は中東諸国からだけではなく世界中から観光客が訪れています。世界最大の人工港ジェベル・アリーと、国際ハブ空港として機能する 24 時間空港であるドバイ国際空港を持ち、中東地域の人と物の流れの中枢、中継貿易都市として繁栄しています。

また、都市交通においても2005年に、ドバイ国際空港とジェベル・アリ港を結ぶ都市鉄道の建設(ドバイメトロ)に着手しました。4路線の計画路線のうち、200999 日に「レッド・ライン」が開通し、201199 日には「グリーン・ライン」が開通しています。さらに、パーム・アイランドへ向かうジュメイラ・モノレール ジュメイラ・モノレールも 2009 年に完成した他、市内には 2 つのトラムも建設中です。もちろんドバイ・クリーク(運河)を結ぶ交通手段としては昔ながらのアブラ(渡し舟)も人気があります。

 

◇おわりに◇

ドバイという街は如何でしたか?砂漠と石油の街というイメージとは少し違いませんか?

中東の街というよりは、シンガポールや香港のような都市のイメージですね。そもそも、ドバイ政府自身が、石油依存から脱却した国際都市を志向していることは本レポートをお読み頂いただけでもご理解頂けると思います。

ドバイの政策、戦略、施策に沿って、ひなびた漁村であったこの地が僅か半世紀もたたない内に世界有数の都市に生まれ変わっています。しかも石油という現代社会で最も価値のあるエネルギー資源を豊富に有していながら、石油に依存しない道を選択して着実にかつ急激に成長しています。

 

ドバイ成長の原動力は知力

 

私は、ドバイはまだまだ成長すると思っています。それは、石油資源やインフラ整備等のハード面の充実もさることながら、ドバイが都市としての成長戦略が非常に上手であり、立案力や企画力等の圧倒的なソフト力を有しているからです。

確かにドバイショックの影響は決して小さくありません。各種の建築計画は延期され中断されているものも未だ残っています。しかし、ドバイの国際金融流通都市としての発展性を阻害するものではありません。成長速度は一時的に鈍ったとしても、圧倒的なソフト力を背景に、国際都市への発展を歩み続ける筈です。

 

ドバイでチャンスをゲットしよう!

 

世界中の人・物・金がドバイに集中して拡散していく、そんな時代が近いうちに到来するのではないでしょうか。そんな街では、ビジネス、投資、観光等あらゆるチャンスが転がっています。今、ドバイの動向からは目が離せません。しっかりとドバイの動きをフォローし、確実にチャンスを捉えましょう!

 

 

 

□悠輔

ブロガー。カメライター(カメラマン&ライター)&トラベルライター&金融ライター。