“世界一有名な女性知識人” ナオミ・クラインってどんな人? その来歴とおもな主張とは

佐々木康弘


ナオミ・クラインの来歴

ナオミ・クライン(Naomi Klein)は、カナダ生まれのジャーナリスト、作家、活動家。1970年、ベトナム戦争に反対してカナダに移住したユダヤ系アメリカ人の両親のもとに生まれる。トロント大学時代に大学新聞に寄稿したことをスタートに、イギリス「ガーディアン」、アメリカ「ニューヨーク・タイムズ」「ネーション」など数多くの媒体に記事を発表している。

 

2000年に出版したデビュー作「ブランドなんか、いらない」が世界的ベストセラーとなり、反グローバリゼーションの活動家として一躍有名に。ニューヨーク・タイムズ紙はこれを「活動家たちのバイブル」と評した。2002年には「貧困と不正を生む資本主義を潰せ」を発表し、さらにその立場を鮮明に。その後、アメリカによるイラク侵攻と占領、そして戦後復興に群がる多国籍企業に関して取材を行い、3作目となる「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」を著した(2007)2014年、化石燃料中心の経済からの脱却と再生可能エネルギーに基づく経済への移行を説く「これがすべてを変える 資本主義と気候の対決」を発表(日本語訳は未刊)

 

政府による介入を最小限とし、市場競争原理に重きを置く「新自由主義」の考え方に基づくグローバリズムを一貫して批判するほか、環境汚染・気候変動・人権問題など、幅広い問題について歯に衣を着せぬ発言を続ける。イギリスの新聞「タイムズ」はかつて彼女を「いま35歳以下でもっとも世界で影響力のある人物」と評したほか、英「プロスペクト」誌と米「フォーリン・ポリシー」誌が共同で実施した「2005年世界知識人投票」で11位、女性では1位にランクした。

 

ナオミ・クラインの発言は膨大で多岐にわたるが、彼女の主張を身近に感じてもらうため、この記事では日本の現状に照らして共感しやすい部分を挙げる。

  

もはや有名メーカーは「メーカー」ではない?

ナオミ・クラインの名を世に知らしめた「ブランドなんか、いらない」は、グローバリゼーションを推し進める多国籍企業の実態を描き出すとともに、そうした企業と闘う反企業運動の問題点にも踏み込んだ著作。大量の正社員を抱えて地道にモノづくりをしてきた旧来の企業にかげりが見えてきたのと時を同じくして、「身軽」な企業が台頭してきたと指摘します。

 

これら新興企業にとって、製品をつくることは最重要課題ではない。()モノづくりは海外の下請けがやってくれるようになった、と堂々と宣言してはばからない。彼らにとって一番重要なのは、ブランド・イメージをつくることだ。()少ない社員で、モノを持たず、強力な「製品」ではなく強力な「イメージ」を作り出せるものが、この競争に勝つ。

 

今日、有名メーカーの多くは、もはや製品をつくっておらず、商品広告もしていない。かわりに製品をよそから買ってきて、それを「ブランド」化している。

 

ナオミ・クラインによれば、モノづくりよりもブランドイメージをつくりあげることのほうが利益を生み出すことに気付いた大企業は、限りある資金を工場の維持や雇用にではなく、ブランド戦略に集中して投入するべきだという結論に至りました。その結果、生産拠点の国外移転が進みます。

 

世界ブランドは製造拠点をどんどん移し、責任を下請け業者に預ける。彼らは、ブランド戦略の金がたくさん残るよう、商品を安くつくれと命じるだけだ。

 

日本でも、家電や服飾などの業界でこうした流れはすっかり定着し、海外の工場で製造されたものが国内メーカーから発売されることも当たり前となりました。海外で製造することで、企業は利幅を多く取ることができ、消費者は製品を安く買うことができます。

 

その反面、国内の雇用はどんどん海外に流れています。コスト削減のために海外発注に切り替えるという理由で、下請けの町工場が突然契約を解除され、倒産の危機に面するという悲しい話も、それほど珍しいことではなくなりました。でも、世界全体をひとつの市場としてとらえるグローバリズムの考え方からすれば、工場を国内に置くか海外に置くかは、工場を建て替えて立地のよい隣の県に移したという程度の意味しか持ちません。ここに、グローバリズムが持つひとつの問題点があると言えるのではないでしょうか。

 

チェーン店が増殖し続ける理由とその問題点

ナオミ・クラインは、世界中で拡大し続けるチェーン店にも厳しい目を向け、「選択の消失」「選択への規制」と呼びます。一見すると多彩な商品やライフスタイルが提示されているようでいて、実は巨大な企業が提示する狭められた選択肢の中から選ぶ自由しかない、というわけです。そもそもなぜチェーン店は増殖し続けるのでしょうか。彼女は論じます。

 

小売りは莫大な資金をもつ企業同士の戦いとなった。彼らは規模の力で異常な値下げをして相対的にライバル店の値段を上げるか、あるいは独占に近い市場シェアをとるかだが、その効果は同じである。そこでは大規模であることが必要不可欠であり、小さな会社はとても太刀打ちできない。()大きくなければ話にならないのだ。

 

こうして巨大企業によるチェーン店が増え続ける結果、街なかの景色は一変します。

 

郊外や小さな町、労働者階級の住む地域では、個人の店は自己増殖するクローンによって徹底的に攻撃され、追い払われている。

 

日本でも、340年前までは至るところに小さな個人商店がありましたが、今ではコンビニに姿を変えるか、閉店したお店がほとんど。喫茶店はコーヒーチェーンに、金物店はホームセンターに、町の電気屋さんは家電量販店にとって変わられました。全国どこに行っても、駅前には同じコーヒーショップがあり、コンビニがあり、ファストフード店があります。確かにそうかもしれないが、市場原理だから、時代の流れだから仕方がない、と多くの人はとらえることでしょう。

 

しかしナオミ・クラインは、その一歩先にある危険な兆候に目を向けます。圧倒的に市場を支配した企業は、文化さえも左右する、彼女の言葉によれば「検閲」するというのです。つまり、人々が何を買うべきか、何を楽しむべきかは大企業が決めます。大企業に認められない文化は、細々と存在するしかないというわけです。大企業はメディアやイベントなどのスポンサーとしても君臨し、テレビ番組や催し物の内容に口を出します。わたしたちが普段受け取っている情報のほとんどは、どこかの企業のフィルターを通っているのです。

 

企業とは関係のない空間は、確実に失われつつある。

 

為政者にとって危機はチャンス?

ナオミ・クラインの最も新しい著作「ショック・ドクトリン」は、「大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革=惨事便乗型資本主義」を徹底的に批判する本。同書では、戦争や大規模な自然災害、政変などの社会的な危機や混乱に乗じて、あるいはそれを意図的に招いて、人々が冷静さを失っている間に過激な経済改革を強行する政策を「ショック・ドクトリン」と呼びます。

 

彼女はこれを、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民営化を柱とする新自由主義を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンに源を発する考え方だとし、天安門事件、アメリカ同時多発テロ事件、イラク戦争など現代世界史の様々な場面でこの手法が為政者によって用いられてきたと断じます。

 

一例として、イラク戦争後のアメリカで起こった大規模な政策転換、「国家の安全保障の民営化」について同書はページを割きます。

 

9.11直後に人々が茫然としていた時期に起きたのは、まさに国内版経済ショック療法だった。フリードマン主義に徹したブッシュ・チームは、ただちにこのショック状態につけこみ、戦争から災害対応に至るすべてを利益追求のベンチャー事業にするという、急進的な政府の空洞化構想を推し進めるべく動き出したのだ。

 

ナオミ・クラインによればブッシュ政権は、「9.11がすべてを変えた」という大合唱、国民の愛国的団結心、そして「言葉よりも行動」というメディアの論調などを味方につけ、9.11前には存在しないに等しかったセキュリティー産業をわずか数年のうちに「映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模」へと成長させました。

 

同書では、こうした政策で利益を得た人物が政権内にいたことが明かされますが、それはあまり本質ではありません。国家存亡にかかわる業務を私企業に任せるという、普段は十分に議論を尽くしても賛否が分かれる問題でも、何かの危機に直面した際はすんなりと一方向に流されてしまうという社会の傾向、そしてそれを利用する政治家の存在。ここに、わたしたちが省みるべき教訓があります。

 

日本でも、自衛隊にかかわる問題など国家の安全保障にかかわる重大な問題が平時には議題とされず、アメリカからの外圧や周辺地域での摩擦など、差し迫った問題が起きてから泥縄式に議論され、法案を成立させることが繰り返されてきました。裏を返せば、何かかが起きない限り議論されず、関心を向けられることもない議題が多いということではないでしょうか。ただ一方的に政府を非難するよりも、国民の側にも一定の見識と冷静な目が求められると言えるのかもしれません。

 

敵を利用する政治家たち

惨事便乗型資本主義が立脚する新自由主義は、前述のとおり「規制撤廃(緩和)」「民営化」などを掲げます。このキーワードから思い出すのは、“永田町の変人”として在任中高い人気を誇った、元首相の小泉純一郎氏。「官から民へ」をスローガンに郵政民営化や道路公団の民営化、タクシーの増車・新規参入の自由化に代表される大規模な規制緩和政策などからなる「聖域なき構造改革」を推し進めました。

 

小泉元首相が自身の政策実現のため、「劇場型政治」と呼ばれた手法を用いたのを覚えている方も多いことでしょう。特に象徴的なのは、「私の内閣の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力」と語り、自らの政策に賛成しない者には、たとえ同じ党の議員であっても「抵抗勢力」のレッテルを貼り、改革に抵抗する守旧派であるとのイメージを有権者に植えつけたこと。小泉改革に賛成する者が善で、異を唱えるものは悪であるという善悪二元論のイメージ戦略は国民にとってわかりやすく、その後の総選挙で小泉氏率いる自民党は大勝を収めました。

 

しかしながら、タクシーの規制緩和による過当競争が問題となるなど、小泉内閣の規制緩和策は行きすぎだったことが後に明らかとなり、20141月にはタクシー規制強化法案が成立。国民が熱狂的に支持した小泉構造改革について、少なくともすべてが正しかったわけではないという事実を国民自らが突きつけられる形となりました。

 

「ショック・ドクトリン」にも、敵を利用した政治家が登場します。元イギリス首相のサッチャー氏です。

 

サッチャーには国をひとつにまとめるための敵が必要だった。緊急措置や弾圧を正当化する非常事態、すなわち彼女が()タフで決断力に富んでいると見せるための危機が必要だったのだ。

 

この記述は英国のフォークランド紛争を念頭に書かれたものですが、洋の東西と時代を問わず、「敵」を作って世論をまとめる手法が政治家に定着していることにあらためて気付かせてくれます。

 

「民営化」に潜む問題点とは

「ショック・ドクトリン」は、イラク戦争後のイラク復興においてブッシュ政権が主眼としていたのは「アメリカ企業に利益を与えること」であったと指摘します。民間の会計監査法人には法律の立案、シンクタンクには事業の立案が、教育関連企業には教育カリキュラムと教科書の作成が発注されました。セキュリティー会社や防衛企業には軍や警察の訓練が委託されました。発注されました。これらはすべてアメリカの企業です。

 

単にアメリカ企業が得をしたという話なら、アメリカが勝ったのだからそのくらいは……と思えるかもしれません。しかし同書を読み進めると、これによってイラク国民が多大な不利益を被ったことがわかります。その原因は、ブッシュ政権でもアメリカ企業でもなく、もっと根本的な部分にあると彼女は言います。

 

現在のイラクの惨状は、ブッシュ政権の無能さや縁故主義のせいでもなければ、イラク国民の宗教抗争や部族主義に起因するものでもない。これは資本主義が引き起こした惨事であり、戦争によって解き放たれた際限のない強欲の生み出した悪夢にほかならない。

 

これはどういうことでしょうか。わかりやすい例として彼女は、「エアコンの代金が扇風機に変わってしまう」と語ったある上院議員の言葉を借りて説明します。つまり、復興のスピードと効率性を建前として好きなように利益追求に突き進んだアメリカや他の外国企業は、受注した仕事を他の企業に丸投げし、労せずに利益だけを手に入れました。その企業もさらに他の企業に丸投げするという構造が繰り返された結果、本来はバクダッドで取り付けられるはずだったエアコンの代金はみるみるうちになくなり、最後の企業はやむを得ず扇風機を取り付ける、というわけです。

 

こうしたことがイラク全土で大規模に続いた結果、何十億ドルという金が復興のためにつぎ込まれたのに国民の生活はいっこうに良くならず、それどころか外国企業に仕事まで奪われて以前より悪くなったといいます。イラク国民の間にたまった不満はしばしば暴力行為となって占領当局や外国企業に牙をむき、やがてそれらをまとめる民兵組織ができ、治安の悪化を招きました。

 

イラクの例をそのまま日本に当てはめることはできませんが、ここからごく当たり前の1つの教訓を得ることができます。「民間企業は、必ず利益を追求する」という事実です。もちろんそれ自体は何も悪いことではありませんが、一定の歯止めがなければ「エアコンが扇風機になってしまう」かのように、消費者や受益者をないがしろにした利潤追求に陥る可能性を持ち合わせていると言えます。

 

今年、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が指定管理者として運営を受託している佐賀県の武雄市図書館と神奈川県の海老名市立図書館において、選書に問題があると大きく報道されました。いわゆる「ツタヤ図書館」問題です。10年以上前に出版された国家試験の参考書やWindows98のガイド本など、ほとんど役に立たない本を古書店から大量に購入していたことが明らかとなったのです。

 

このほか、図書館所蔵のDVDを大量に廃棄し、その中には併設するTSUTAYAで有償レンタルされている作品が多かったこと、郷土資料を廃棄してそのスペースをTSUTAYAのレンタルゾーンとしたことなどから、あまりにも露骨に利益を追求しているのではないかという批判がネットにあふれることとなりました。こうした騒ぎの中、CCCと連携して新図書館建設計画を進めていた愛知県小牧市では市民による反対の声が大きくなり、住民投票の結果、計画が否決されることとなりました。

 

「ツタヤ図書館」問題は、ナオミ・クラインが論じている問題に比べればあまりにも小さな問題です。ですが、行政から事業を委託された民間企業が利益追求に走った結果、行政サービスの恩恵にあずかるべき住民が不利益を被ったという構図は同じです。指定管理制度による行政サービスの民営化が進む日本において、これはいつどの自治体でも起こりえる問題なのです。

 

見方が一方的なのではないかという批判も

ナオミ・クラインは反グローバリゼーションの論客として一貫した発言を続けているがゆえに、「大企業批判や資本主義批判に偏りすぎているのではないか」との批判もあります。彼女の著作などを読むと、アメリカなどの大国や大企業は常に悪玉として、貧しい国や人々は善玉として描かれていると感じるかもしれません。

 

一例として、「ショック・ドクトリン」において、日本やアメリカを含むいくつかの国がテロ組織に指定しているレバノンの武装組織「ヒズボラ」を好意的に描いている点が挙げられます。彼女によれば、イスラエル侵攻後のレバノン復興において、ヒズボラは家々を一軒一軒訪問して家をなくした人に多額の現金を支給し、地元住民を雇って復興事業を推進しました。彼女はこう記しています。

 

重要なのは()、ヒズボラが再建されつつある地域社会から立ち上がった、地元民による地元の組織だという点である。

 

地元の行事に積極的に協力し、災害時には率先して物資の援助などを行う日本の暴力団は、(たとえ裏で非合法な活動をしていたとしても)良い存在なのだろうか、という問いかけに似た疑問が浮かんできます。ナオミ・クラインはこの点で注意深くペンを進めており、事実を記述しているだけでテロ組織を賞賛しているわけではない、という体裁をとっています。

 

確かに彼女は、膨大な取材に基づいて執筆活動を行っています。とはいえ、ナオミ・クラインという人物のフィルターを通っている以上、彼女の発表する文章を通してわれわれが目にするものが完全に公平中立な情報であると断定することはできません。それでも、世界中の断片的なできごとを結びつけ、その背景にあるものを浮かび上がらせようとするナオミ・クラインの発言は、今後も世界中の活動家や経営者、政治家に少なからぬ影響を与え続けていくことでしょう。

 

 

 

佐々木康弘

 1972年札幌市生まれ。2004年よりフリーライターとして活動を始め、旅行情報誌やネットニュース、全国紙の地域版などで執筆を行う。独自の視点に基づいたコピーライティングや、端的に事実をまとめつつ読み手の興味を引くニュース記事執筆やニュースリリース制作に定評あり。