アイムソーリー法を日本へ 謝罪法で「ごめんなさい」と素直に謝れる社会

村上 哲也


謝罪する女性
謝罪する女性

 

非を感じたら、「ごめんなさい」と謝ることは幼稚園児ですら知っています。しかしながら、それが実施しずらい社会に日本がなってきていることをお気づきでしょうか?

 

「ごめんなさい」と言う謝罪の言葉は、裏を返せば、何らかに対して自分に非があると認めたことになるからです。特に、裁判などでは、この様な謝罪の言葉の有無が責任の所在を判断する決め手になると考えられる為に、安易に「ごめんなさい」と言ってはいけないと広く信じられています。私自身、父親から車の免許を取った時に、「もし事故を起こしても、絶対に謝ってはいけない。謝ることはその事故の非を自分が認めることになるので、後の賠償問題で不利になる。覚えておきなさい。」と教えられました。しかしながら、日本人の美徳と考えられる相手を思いやる気持ち(=ホスピタリティ)と言うのは世界的に大変評価されています。誠意を持った謝罪と言うのはこのホスピタリティと強く結びついていると思います。それ故、「謝罪することが出来ない社会」と言うのは大変悲しい現実です。

 

同じような状況はアメリカにもあります。米国でも同じく「交通事故を万が一おこしてしまった場合、絶対に相手に対して謝罪してはいけない。」と言われています。「自己の権利」を主張する訴訟社会のアメリカでは、何があっても謝ってはならない、謝ったら最後、責任があることを認めたという訴訟上の証拠となってしまう、ということです。これは先に述べた日本の場合と同様です。しかしながら、そのような米国社会にそれに対する反省の動きが出てきています。その象徴的なこととして、米国各州で、「アイムソーリー法」(Sorry Law」)という法律が制定されるようになっています。

 

この「アイムソーリー法」とは、例えば交通事故が発生した際に、まだ当事者のどちらが原因か分らない時点で、片方が「I'm sorry.」と言っても、その言葉が自分の非を認めた証拠にはならないという内容です。つまり、非を感じて相手に謝ったとしても、その言葉自体では、後の訴訟でも不利にはならない、という内容の法律です。

 

元来礼儀正しいとされてきた日本人ですが、よく「悪いこともしてないのにすぐ謝る」と揶揄されます。その揶揄の根拠となる「謝罪しない外国」も変わってきていることに注意が必要です。いっそのこと日本にも「謝罪法」を作って謝罪文化先進国としてリードして行ってみてはいかがでしょう。日本もアメリカに続き、その様な謝罪法を作れば世界的にもその風潮はますます増大していくと予想されます。

 

 

アイムソーリー法の原文とその意訳は以下の通りです。

 

Statements, writings, or benevolent gestures expressing sympathy or a general sense of benevolence relating to the pain, suffering or death of a person involved in an accident and made to such person or to the family of such person shall be inadmissible as evidence of an admission of liability in a civil action.

(意訳) 痛み、苦しみまたは事故に巻き込きこんだ人、または、その人の家族に同情または慈悲の一般的な感覚を表している声明は、民事訴訟上の義務の告白の証拠として承認しない。

 

この法律は考えれば、非常に秀逸なモノであります。何故なら自分が悪いかもしれない状況では、「ごめんなさい」と謝ることを教えられて私たちは育てられます。しかし、実社会では既に述べた様に、事故の際の謝罪の言葉は、後の裁判で自分の不利益になると言うジレンマがありました。しかし、この法律はこのジレンマを解消できるのです。たとえ、自分が100%悪い訳ではなくとも、お互いに「ごめんなさい」と言い合えるとしたら、それは相互にとって事故に対して気持ちの和らぐ行為と言えます。

 

この法律を始めに制定したのはマサチューセッツ州でした。きっかけは、1974年に地元で起きたある少女の不幸な交通事故が発端でした。少女が自転車に乗っている時に、自動車にはねられて死亡してしまうという事故が発生しました。その後、その少女の父親は加害者の運転手に何度か謝罪を求めました。しかし、当時は謝罪することは訴訟で不利になるとして、加害者は謝罪の言葉を拒みました。その亡き少女の父親は州の上院議員であり、この自分の悲しい経験から、事故を起こして人が死んでも、「ごめんなさい(=Im sorry)」の一言も言えないアメリカ社会は、どう考えてもいい社会とは言えないと人々に訴えました。

 

そして、謝ったからと言って、それが不利にならないことを定めた「アイムソーリー法」を提唱し、これが実現されました。その後各州で立法が行われ、2001年の1月にはカリフォルニア州でも立法が実現しています。法律の制定前までは、「ごめんなさい(=Im sorry)」と言う言葉をうかつに出すことは裁判で不利な立場になっていました。その為、双方が互いに何を言われても、決して「ごめんなさい(=Im sorry)」と言うことを避けてきたのでした。しかし法律の制定によって状況は大きく変わりました。この法律の制定のおかげで、交通事故訴訟ばかりでなく、医療ミスに関連した訴訟の激減にもつながっています。それは、医療過誤の場面では、「ただ相手が謝罪してくれるだけでいいのだ」という理由が提訴理由に多かったことが原因です。

 

翻って日本の場合はどうでしょうか?先に述べた様に「裁判などでは謝罪の言葉の有無が責任の所在を判断する決め手になると考えられる」と言う言葉は広く信じられています。私も実際この記事を書くまではそう信じておりました。しかしながら、謝罪の有無によって本当に裁判の行方が変わるのだろうか調査をしてみました。結論から述べると、日本の過去の裁判の例(判例)を見ても、「謝罪が原因で訴訟に負けた」というものはほとんど見当たりません。一応、判例分には謝罪によって過失(自分が悪いことした)を認めたことが証拠になっているものも多少ありますが、その殆どは謝罪が無くても負けていたような訴訟ばかりでした。

 

しかし、先の言葉(「裁判などでは謝罪の言葉の有無が責任の所在を判断する決め手になると考えられる」)が広く信じられすぎて、例えば「医療ミス」が起きても絶対に謝らない病院は非常に多いです。これはやはり、訴訟になったら自分達が不利益を被るかもしれない為、保守的になっていると考えられます。しかし、「謝らない」ことによって話が大きくなって、結果として揉めなくてもいいようなことが訴訟問題にまで発展しているケースは非常に多いです。患者側はただ謝ってほしいだけ、別にお金が欲しいとか、裁判になった時に有利になるように、とか考えている人は少ないと思います。

 

更に、「謝罪が直接的な過失を認めた証拠にはならない」という判例もいくつかあります。これを考えると、むしろ謝罪はしておいたほうが裁判上も良いと考えられます。堅苦しい謝罪でなくとも、「この度はこのようなことになり、誠に申し訳ございませんでした。」程度の謝罪では、裁判が不利にはなることはない様です。裁判上で基盤となる「法律」とはそもそも何かを考えると、人を縛り付けておく為の決まりごとではなく、「人としての常識」を明文化したものであると思います。だから、人としておかしなことをすると法律に触れる可能性が高い(人を殺す、悪口言う、物を盗む)訳です。でも逆に考えれば、人として正しいことをしていれば、それは裁判上有利に働くべきです。普通は悪いことしたら謝罪するべきです。その常識を守って、それが直接的な原因で裁判上不利になると言うのはおかしな話だと思います。過ちを犯してしまったら、やはり素直に謝るべきです。

 

尚、日常生活においては、海外かぶれした日本人の中には「謝罪」を大げさに捉える人がいるかもしれません。しかし、これまで見てきたように自分に非があるのならば素直に謝った方が良いと思います。それが、日本人の相手を思いやる気持ち(=ホスピタリティ)に繋がるのではないかと思います。もし、万が一、「謝罪」によって相手が不当な要求事項をしてきた場合には警察に行きましょう。既に述べた様に「謝罪」によってあなたが不利な立場に立たされることは裁判上有りません。不当な要求に対しては警察を仲介人として「No」と言えば何ら問題ではありません。「人としての常識」に照らし合わせて正しい行動を取ることが最も大切だと思います。 

 

 

 

□村上 哲也 コンサルタント兼ライター
ゼロベースでのコンサルタントには定評があり、担当する顧客とは「戦略」から始め「戦術」まで実行させる本格派。2013年より本業の合間にライター業務も行っており、コンサルタント関係に留まらない幅広い記事の記載を行っている。