約束の槍(やり)

高城由良


 

「叔父上、空がかように紅く……」

 藤堂仁右衛門高刑(たかのり)は関ヶ原の中央から松尾山の麓に戻る途中、西の空を見上げて言った。

 その声が聞こえたのか、叔父の藤堂高虎は一度同じく西の空を見て、然りと頷く。

「燃えるようじゃな。まるで本日の戦火じゃ」

「すぐにでも日暮れになりましょうか」

「うむ。いかがした」

 高刑の問いかけのような言葉に、高虎が疑問で答えると、高刑は緊張した面持ちで一度ぐっと口を結んだ。

 不思議に思った高虎が再び高刑を見やると、高刑はようやく息を吐き出したようだった。

「かように大事な戦に立会い、緊張で喉が乾きましてござります。しばし谷に下っても」

 まるで初陣に出た若武者のような高刑の顔に、高虎は頬を俄に緩めると、自然と腹からの大声で笑っていた。

「さようか。緊張で。よかろう。ただし、くれぐれも日暮れまでには陣に戻らねばならぬぞ。大殿へ報告に行かねばならん」

「承知にございます。直ちに戻りましてございます」

 一人、足早に谷のある方へ歩みだした高刑の背中の、徐々に小さくなりゆく様を高虎は静かに見つめていた。

 

蓮の花の蕾

 

 谷を目指し山間を行くと、徐々に戦場特有の火薬や血の匂いが薄れて行く気がした。高刑の視界はもう緑一色で、吸い込む空気も幾分か綺麗な気がする。

 足場の悪い道なき道を一歩、また一歩と歩み続けると、高刑の耳に、かすかに水の流れる音がした。

(谷じゃ)

 駆け出そうとした高刑はしかし、水の音に交じる衣擦れの音を聞いて足を止めた。

(人がいる。もしや、敵の残党では)

 高刑は手のひらにじんわりと汗が滲んでくるのを感じ、慌てて手を拭った。槍を今一度しっかりと握り直すと、警戒を高めながらじりじりと音のする方へ近づく。

 見慣れた緑の隙間から様子を伺うと、そこには確かに一人の武士がいた。一人蹲る、その武士の横顔に高刑は見覚えがある。

(あれは、湯浅五助殿ではないか。何たる好機)

 湯浅五助は猛将として知られている。今朝、高刑がぶつかった大谷吉継の隊にもいたはずだ。

(湯浅殿は西の将。その首を取れば、きっと大殿はお喜びになるはず)

 高刑は再び、手に滲む汗もそのままに槍を持つ手に力を入れた。

「湯浅殿、覚悟」

 高刑が五助の首を狙い一気に茂みから飛び出す。突き出した槍は蹲っていた五助の喉元を掠った。

 瞬間、高刑の槍先が、ぼとりと派手に音を立てて落ちた。柄だけ残った槍の先を見ると、五助の殺気に満ちた目が見えた。刀を抜いたのだ。

(この気迫、やはり幾多の死地をくぐり抜けて来ただけはある)

とっさに高刑は使えなくなった槍を打ち捨てて刀に手をかけた。

 しかし、その反応は五助よりも僅かに遅く、五助がすでに間合いを十分に取った後だった。

(速い。しかし、……なぜ斬りかかって来ぬのだ)

 高刑が疑問に思っていると、間合いを取った五助の殺気が消える。その目には殺気に変わって真摯な光が宿っていた。

「いかにも。某は湯浅五助にござる。某の首を狙われたということは、貴殿は東の将であるか」

「いかにも。某は藤堂仁右衛門にござる」

 向かい合い、互いに名乗り合うと、意外にも五助は一歩下がり、膝をついて頭を垂れた。

 突然のことに驚いた高刑は、しかし動揺を表に出さぬよう、ぐっと歯を食いしばる。思わず一度、唾を飲み込んだ。

 ふと、先ほどまで五助が蹲っていた地面が高刑の目に飛び込んできた。一度掘り返されたようにも見える。その新しい土に、高刑はもしや、と思い立つ。

 高刑は再び五助を見た。

「貴殿は既に察しておられるであろう。ここには我が主、大谷吉継の首が眠っておる」

 五助は頭を垂れたまま話を切り出した。

(やはりそうか。あの盛り土の下に大谷吉継殿が……)

 高刑は合点がいって幾分かすっきりした気持ちであった。それと共に、更なる期待に胸が踊る。

(大谷殿の首を持ち帰れば、叔父上の手柄になるのではあるまいか)

 しかし、五助が次に続けた言葉に高刑は変な衝撃を受けることになる。

「藤堂仁右衛門殿。貴殿に折り入って頼みがある。我が主は病にて、その顔は病み崩れたもの。某は主より自刃の際に、その顔を敵に晒すなとの命を承り候。どうか、これだけは守らせてはもらえぬだろうか」

 垂れていた頭を上げた五助の目の真摯な光は衰えることなく高刑を貫いた。言葉を継げずにいる高刑に構わず、五助はなおも言い募る。

「ここに主の首が眠ることをどうか秘して下され。その代わりと言っては何だが……」

 高刑は、そう言った五助の目の光がなおも強くなった気がした。

 ただでさえ静かな山間が、まるで風や谷の音まで消えてしまったかのように静かに感じる。その中で、五助の言葉だけが高刑の耳に大きな響きを持って飛び込んできた。

「その代わりと言っては何だが、貴殿に私の首を差し出す。それ故、どうか。どうか、主君の首の在り処を秘して下され」

 頼む、と五助が再び頭を垂れる。その必死な姿が高刑の胸を打った。

(かような時にまで主の命を守らんとするその姿。なんと美しき武士の姿か)

 高刑は一度大きく頷く。

「湯浅殿。貴殿のその忠義、見事なり。相分かり申した。貴殿との約束、必ずや果たそうぞ」

「藤堂殿、かたじけない。それでは某の首を」

 高刑は頭を垂れたままの五助の背後にそろりと近づくと、その首めがけて刀を振り下ろした。

  

 山間は既にほんのりと暗くなっていた。

 五助の首を抱えた高刑は未だ鳴り止まぬ心臓の音をごまかすように、必死に走った。

 水のために谷に降りたことなどはもう忘れている。大殿への報告までに陣に戻らなければならない。

 一面の緑の隙間にわずかに松明の明かりが見えた時、ようやく高刑は立ち止まった。

 心臓の音は未だ大きい。はあはあと大げさなほど息を吐き出すと、高刑はなんとか自分を落ち着けようと再び歩み出す。

 ゆっくり、ゆっくりと歩みを進めれば、いつの間にか高虎の陣に着いていた。

「高刑、遅いぞ。何をしておった」

 陣幕をくぐってすぐ、高虎の声が飛んできた。その嗜めるような厳しい声に、高刑は持っていた首を掲げる。

「湯浅五助殿の首にござる」

 

 高刑は高虎と共に家康の本陣に赴いていた。

 五助の首を取った旨がすぐに報告されたのだ。首実検のため、五助の首を持参しろとのことだった。

 陣幕の内に入ると、中央には家康が威厳を放ち座している。

「よく来た。どれ、首はそれか」

 高刑が五助の首を差し出すと、家康がその首をしげしげと見つめる。身元の確認をしているようだった。

「ふむ。確かに湯浅五助殿じゃ。あの猛将を討ち取るとは、見事なり」

 家康の賛辞は高刑と高虎を喜ばせるには十分だった。これには高虎も鼻が高い。二人の顔は俄に喜色ばんだ。

「しかしのう……。大谷吉継の首がまだ見つかっておらんのだ。湯浅五助は大谷吉継の腹心中の腹心。そなた、何か知っておるのではないか」

 そういった家康の目は鋭く高刑を見ていた。正直に言わねばどんな処分を受けるか分からない。

 しかし、高刑の脳裏には五助と約束を交わした時の真摯な目が焼き付いている。高刑は家康の目を見つめ返し、少し震える唇を開いた。

「知らないわけではござりませぬが、湯浅殿と他言せぬという約束で首を取って参った所存。こればかりは大殿でも口に出すことはできませぬ。どうか。どうか、某に処分のお申し付けを」

 高刑の言葉は、しんとした場に響き渡った。隣の高虎が驚き高刑の方を見ているのが、高刑にはひしひしと感じられた。

 しばし鎮まり返っていた本陣はしかし、突然上がった家康の大きな笑い声で緊張が解けた。

「今時、なんと律儀な若者じゃ。よかろう、褒美を取らす」

 高刑の前には家康の槍と刀が置かれる。予想だにしなかった展開に、高刑は思わず呆然と家康を見上げた。

 高刑を見下ろす家康の顔は微笑みを浮かべていた。

「その槍はおぬしと湯浅殿の約束の証じゃ」

(湯浅殿との約束の証……)

 高刑は目の前の槍に五助の姿を見た気がして、胸の内に熱いものがこみ上げてきた。

「ありがたき幸せにございます」

 すぐに家康に向かい高刑が頭を垂れると、自然と涙が頬を伝った。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2963.html

  

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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