城内の蝿

高城由良


 

「青柳、婿殿はおらぬか」

 大野定長はこの日、娘の青柳の下を訪ねた。といっても、目当ては愛娘ではなく、その婿となった木村重成という若武者と話がしたかったのだ。

 定長は顔を真っ赤にし、ぶるぶると小刻み震え、何やら忙しない様子である。青柳からしてみても父の、怒りを浮かべたその顔に何事かと気持ちが逸った。

「重成様でしたらおいでですよ。御父様、こちらへ」

 青柳は父を館に招き入れると、侍女に父を応接間へと案内するよう言付けた。

 こちらへ、と侍女が廊下を案内する間も、定長の怒りは収まる様子は無い。扇子を持った右手は忙しなく、ぱたんぱたんと手慰みに音を立てた。

 応接間にて定長が座していると、しばらくして重成が入ってきた。義理の父の真っ赤な顔を見ても重成に動揺は見られず、深々と頭を下げては訪ねてきた礼を述べている。

 重成は相変わらず面も礼節も非の無い美しい男であった。

 しかし、それだけでは今回の定長の怒りは収まらないようである。重成と顔を正面から合わせると、定長はいよいよ口を開いたのである。

「婿殿、先日の茶坊主の件が噂になっておるそうではないか。よもや、その噂、真にはあるまいな」

「御父上、城内の噂は真のことにございます」

講談社の本「木村重成」

 定長は大坂城内でまことしやかに囁かれている重成の噂について腹を立てていたのだった。

 この頃、大阪城内では木村重成の噂が広まっていた。噂の出処は山添良寛といい、城内の茶坊主の中でも五人力の力自慢である。

 良寛は常々から初陣の経験のない若すぎる重成のことを「優男」などと言って仲間内で揶揄していたのだ。良寛は、もちろん重成との力比べを望んでいた。

 それが先日、城内の廊下で茶を運んでいた良寛が重成とすれ違ったのである。すれ違いざまに良寛の運んでいた茶は重成の袴にかかってしまい、良寛は気をつけろと重成に謝罪を求めた。良寛はこれで喧嘩になればしめたものだと思っていたのである。

 しかし、重成は慌てることもなく良寛に頭を下げて謝罪を申し出たのだった。

 なんとしても喧嘩に持ち込みたい良寛は重成にさらに土下座まで迫ると、重成はまたも良寛の思惑とは異なり、膝を折っては深々と頭を下げた。

 良寛はいまいち思い通りに行かなかったものの、重成に膝を折らせたことに胸がすいた思いだったのだろう。重成が自分に土下座してまで謝ったと話を流布したのである。

 もちろん、その話は重成の耳にも届いており忠告をしてくれる者もいたのだが、重成は一切取り合わずにいた。

 その矢先の義父の訪問である。

 

 定長は動揺もせず噂を肯定した重成に未だ怒りが収まらなかった。むしろ、かように馬鹿にされて武士の矜持というものがこの婿にはないのか、と苛立ちが増してくる。

 眉間の皺が深まった定長は話を続けた。

「婿殿、茶坊主風情に馬鹿にされて何も思わぬのか。武士なればその場で斬って捨ててこそ矜持が守れるというものであろう。自身の腕に覚えが無いというのであれば儂が代わりに斬り捨てようぞ」

「ご心配をお掛けしたことは某も申し訳なく思っております。しかし、剣の腕でしたら某も武士の端くれ。多少の自信を持っております」

「ならば何故……

 定長が声を荒げるのは尤もであった。その気迫、ましてや義理の父ともなると動揺するのが普通である。

しかし、重成は定長と顔を合わせた時と何ら変わらず凛と居住まいを正したままであった。

「お言葉ですが、たかが茶坊主。その不始末にて城内を汚したとあっては某もただでは済まぬと存じます。時には腹を切らねばならぬ所存。その覚悟は常にあれども、某とて千人の兵を任せられし将にございます」

 重成は静かながらもしっかりとした心持ちで言葉を継げた。これには、さすがの定長も少々圧された気がした。重成の言葉の一つ一つが実に誠実に感じられたのだ。

「千人を率いる将とて、その命は一つ。某の命も一つにございます。ならば、たった一つのこの命、城内ではなく、秀頼様のため戦場にて散らしたき所存」

 そこまで語ると、重成は一度ほっと息をついた。定長も先ほどまでのような怒りはとうに無くなっている。

 今一度、重成は定長の目を真摯に見つめた。

「御父上、『蝿は金冠を選ばず』という言葉をご存知でしょうか。蝿には金冠の価値が分からぬものです。たかが城内の蝿一匹、相手取る価値は無いかと心得ます」

 重成の紡いだ言葉に、定長は思わず声を上げて笑った。なるほど、なるほどと笑いながら定長は膝を打つ。

「あの茶坊主を蝿とな。うむ。婿殿には参ったのう。たいした器量じゃ」

 これは面白いと笑い続ける定長を重成は微笑みつつじっと見る。重成の脳裏には良寛の姿が浮かんでいた。

「良寛殿も、時が来ればきっと分かってくれましょう」

 定長は重成と顔を合わせて再び笑うと、気を良くしたのか、来た時とは全く別の顔をして重成の館を後にした。

 良寛が重成に詫び、忠誠を誓うようになるのはこのすぐ後のことである。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2941.html#more 

 

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

「みんなの社会科 創作小説部」についてはコチラ

みんなの社会科 創作小説部 バナー

小説家・ライターさんを募集中!