赤坂、燃ゆ

高城由良


 

 後醍醐天皇の時代。

 天皇の悩みはもっぱら鎌倉に敷かれた幕府のことであった。幕府権威の失墜、政治の腐敗。これを正すには幕府を倒すしか無い。

 しかし、相手となる幕府軍は強大な勢力と軍事力を持っている。倒幕に加わる者が少ないのだ。

 

 「幕府に勝つ見込みなど、誠にあろうか」

「お言葉ですが、陛下。相手は関東武士。武力で言えばこちらに勝ち目はございませぬ」

「ふむ。何とも頭の痛いものじゃ。倒幕はならぬのか」

 天皇への謁見の場、頭を悩ませる天皇に意見をしたのが、何を隠そう、あの楠木正成である。

「勝ち目がないというのは、こちらも相手方同様、正攻法で挑んだ場合にございます。智謀を尽くし策略を巡らせれば、たとえわずかとて勝機も見えましょう」

 楠木正成が倒幕に加わったこの時、実に三十七歳のことである。

 

楠木正成
出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90

 

 楠木正成の拠点は、彼の地元である赤坂に建てた山城だ。

 挙兵したといえども、正成の軍勢はわずか五百。対する幕府軍は数万という大軍であった。

 兵の数が違えば、質も違う。幕府軍は鎧兜できちんと武装しているが、こちらは野武士のような地侍である。

 この状況だけを見れば、幕府軍の圧勝は確実である。どこに勝てる要素があるというのか。

「こんな粗末な城、片手で足りるわ!せめて一日持ってくれねば恩賞には預かれぬではないか!」

 幕府軍の武将の誰かがそう言った。その言葉に周りもつられて、わははと大きな笑い声が上がるのが山城にも響く。

 幕府軍はもちろんこの城を駆け上った。総員総攻撃だ、と指揮官が指揮をする。数万もの大軍が正成の山城を取り囲んだ。その斜面が下から徐々に人で埋め尽くされていく。

 しばらくして斜面を人が埋めた時、今までこれを黙って見ていた正成が仲間内に合図を送る。

 正成の合図と共に、城の外壁がどっと音を立てて崩れ落ちた。

「一体何事じゃあ!」

 城外の混乱の中に、幕府軍の者の困惑した声がいくつも響く。

 その様子を見た正成はにやりと笑った。

 崩れた城壁の他にも大きな岩や大木が地響きを上げて幕府軍を襲う。これは、正成の策略の一つであったのだ。

 崩れた城壁の中から新しく山城の城壁が現れる。赤坂の城壁は二重の作りとなっていた。幕府軍が登ったのはその外側の城壁のみ。外壁が崩されれば、それに縋っていた武士たちは全て外壁の瓦礫とともに崩れ去るという寸法だ。

 更に上から落とされた大岩等が襲いかかる。油断していた幕府軍にとってこれは堪ったものではない。実際に、上から見ているだけでも多数の被害が確認できた。

「関東武士となれば個々の果たし合いが名誉になろうものだが、こちらは武勲など知ったことか。陛下のため、何としても勝たねばならぬ」

 正成の言葉に味方の兵は声を上げて士気を高める。こうした奇襲は地侍が得意としていたものだった。

「次の策の用意じゃ!」

 地侍達が次々と準備を進めていく。

 中には藁人形で敵を翻弄する者もあり、また別の者は煮えたぎった湯を、城壁を昇り来る敵兵目がけて放った。

 これではいくら兵卒がいてもその内、兵の底が尽いてしまう。幕府軍は今までの力押しの攻めを止めるよう指揮を出す。

 結果、正成の赤坂の城は幕府軍により包囲されることで一時収まったかに見えた。

 

 赤坂の城の包囲はすぐには解かれなかった。

 幕府軍はその兵力差を利用し、城周辺を包囲、封鎖し兵糧攻めという持久戦に打って出たのである。

 正成の軍にとってこれはなかなか厳しいものであった。正成の軍は五百。未だ数万人いる幕府軍の包囲を掻い潜って兵糧を手に入れるのは容易なことではない。

 かといって包囲を解くほどの攻撃もできず、選べる道は籠城のみなのである。ひとまず城内に備蓄した兵糧で五百人を賄わなければならない。

 これは、幕府軍との長期的な根比べに発展することを示した。

 幕府軍の包囲は一週間、二週間しても解かれる様子がない。このまま兵糧攻めが続けば、城内の士気が下がるだけでなく、食料が尽き困窮することになる。

 正成も何とか兵糧攻めを崩すことができないか知恵を絞った。しかし、やはり解決の糸口は見つからない。正成はぎりぎりと歯噛みする思いを日々味わっていた。

 

 兵糧攻めが始まり二十日。

 ついに城内の兵糧が尽きた。城内の士気は今や後醍醐天皇への忠誠のみで支えている不安定なものである。空回っているような危うさが城内を支配していた。

 そんな折、幕府軍から歓声が上がる。それはもう、この城を攻め始めた頃のような士気を上げるものではない。ただただ歓喜の声だった。

「なぜこのような歓声が……」

 正成と共に困惑する城内に、一つの伝令が届く。

 それは、京での後醍醐天皇の捕縛、更には隠岐島への配流の報せであった。城内の不安定な空気は一気に崩壊する。士気が下がるのを誰もが止められずにいた。

「火を掛けよ」

 静まり返る城内に、正成の声が響いた。

「城に火を掛け、抜け道を抜けよ。混乱に乗じて逃げ延びよ。某は必ずや再び挙兵する。それまでの辛抱じゃ」

 正成の指示は地侍によって遂行された。

 粗末と言われた山城は、少しずつ火に巻かれて赤々と燃え盛る。幕府軍の武将は誰もが思っていた。

 楠木正成は武士の伝統に乗っ取り、火中にて自刃をしたのだと。敵ながら誠に立派な最期であると。

 一年後に楠木正成が再挙兵することを、この時の幕府軍はまだ誰も知らない。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2871.html#more

  

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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