逢いたい

高城由良


 

 まだ寒い三月のこと。智恵子は自宅にいた。

 自宅でもかじかむ指はあかぎれて真っ赤になっている。手を揉み、はあっと息を吐きかけると、幾分温かくなった気がした。

 最近は生活も苦しくなった、と智恵子は思う。新聞でもラジオでも、少し前から戦争の話題は尽きないが、昨年まで十分足りていた配給もこの頃めっきり足りなくなっている。闇市なんていう話も聞くくらいだ。

 智恵子にはずっと慕う人がいる。

 その人は智恵子が図書館講習所にいた頃に出会った人だ。もっぱら手紙のやり取りを重ねたその人も、確かに智恵子を慕っている。

 しかしその人も一昨年動員された。あの時、死を覚悟していた彼はいまだ存命しているが、明日はどうなるか分からない。人民の命が今、国のためにあると分かっていてもなんと悲惨なことか、と智恵子は今まで何度も胸を痛めていた。

 彼が特別攻撃隊の選抜を受けた時、一度だけ彼の任地を訪れたことを智恵子は思い出していた。自宅の東京からはとても遠い、長時間の夜行列車の旅だった。

 彼の同僚が気を利かせてくれて二人は旅館でその夜を過ごした。よほど厳しい訓練を受けているのだろうか、すぐに寝入ってしまった彼の顔を智恵子は見ていることしかできなかったのだ。

 ずっと清い交際のままだった。それでも、智恵子の心は満たされていた。

 

特攻隊員

 

 ふう、と一度ため息を吐くと、玄関の扉がガラガラと音を立てて開く。

 ごめんください、と玄関から聞こえた青年の声は智恵子が恋い焦がれた彼のものだ。

「穴澤さん?」

「お久しぶりです、智恵子さん」

突然やって来た青年は穴澤利夫といった。読書が好きで聡明な、人好きがする笑顔の若者である。

 利夫は智恵子の両親に結婚の申し込みに来たのだった。利夫は近日中にも出撃命令が下りている身でもあった。特別攻撃隊は、一度出撃すると無事なまま帰ってくることはほぼありえない部隊だった。正直、智恵子と結婚したところで、すぐに智恵子を未亡人にしてしまう。

 それでも、と利夫は両親に頭を下げて、ようやく二人の結婚は見とめられた。

「穴澤さんのご家族、よくお許しくださったわね」

 あれほど反対していたのに、と門の先まで利夫を見送る智恵子が、利夫に問いかけた。今までも利夫は智恵子との結婚を許してもらうべく、両親や兄を説得していたのだ。

 それでも頑なに下りなかった許しを貰ってきているということは、利夫の出撃が近いのだろうと思わせられる。

 利夫は笑っていた。

「穴澤さん、今日はどちらにお帰りになるの?」

 智恵子の問いに、利夫はなおも笑って口を開く。利夫の顔にはただただ喜びの色が浮かんでいた。

「目黒にね、親戚の家があるんです。本当は休みも残り少ないんですが、今日ほど良い日はありませんからね。その余韻を味わいたいんですよ」

 そう言った利夫は智恵子の家を出て歩き出した。智恵子はその背中が見えなくなるまで、じっと家の前で見送っていた。

 

 事件が起こったのは、その翌日の早朝だった。

 近年増える空襲警報に慣れていたはずだったが、どうやら今度はおかしいらしい。空襲警報が鳴る前には既に飛行機の音が聞こえたし、窓の外は夜明け前なのに明るくなり始めている。街が燃えていた。

 俗にいう東京大空襲である。

 今夜、同じ東京の街には、国を守ると言った利夫がいたはずだ。彼は無事だろうか。

 今まで、これほど大きな空襲を経験したことがない智恵子は居ても立ってもいられなくなった。夜明けと共に智恵子は、彼の親戚のいるという目黒に向かって出発した。

 街はすでに焼け跡になっていて、並んでいた家々も今はただの瓦礫となっていた。広くなった空に唯一並んでいるのは電信柱くらいなもので、瓦礫の下から聞こえるうめき声や、焼夷弾の火に巻き込まれたのであろう焼け焦げた人々の姿がそこにある。

 智恵子はせり上がってくるものに気分を害しながらも、それでも歩みを止めることはできなかった。

 利夫の安否が気がかりで、急いた心は歩みをも早める。

 どのくらい歩いただろうか。智恵子が大鳥神社に着いた頃、避難してきた人たちの中に見知った顔を見つけた。利夫だった。

「穴澤さん!」

「智恵子さん!」

 利夫も智恵子を探していたようで、智恵子が利夫の名前を呼ぶと、彼は人をかき分け、こちらへと向かってくる。

「良かった。智恵子さん、本当に良かった」

 利夫とそれぞれ歩いてきた道で見たものを話した。違いの身の安全がどれだけ嬉しかったことか。そのことについても語り合い、二人は束の間の逢瀬を喜んだ。

 しかし非情なことに、利夫は本日中に大宮に戻らねばならないという。

「電車でお送りします」

 電車の中は避難する人でごった返していた。満員電車なんてものではない。その、人の多さに智恵子はいささか気分が悪くなるのを感じた。ただでさえ人が多いのだから、閉めきった車内の空気は薄く、息苦しさを感じる。

「智恵子さん。智恵子さんは池袋で降りた方がいい」

「でも……」

「大丈夫です。僕はまたあなたに手紙を書きます」

 利夫に促されて降りた池袋の駅が、二人を永遠に引き裂いた。

 

 その後、特別攻撃隊の中に、女性物のマフラーも加えて巻き出撃した若者がいた。若者の手紙には、「逢いたい。話したい。無性に……。」という言葉が残されていた。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3036.html#more

  

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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