二頭の軍犬

高城由良


 

 大日本帝国陸軍では、軍犬が飼育されている。

 この日も、奉天の独立守備隊第二大隊軍犬班、板倉大尉の許に二頭の犬がやって来た。オスの方は軍艦から金剛、メスの方は巡洋艦から那智と名付けられた、青島出身の兄妹の犬である。

 身体が丈夫で賢いという理由で連れてこられた二頭は確かに凛々しい顔つきをしている。聞けば母犬がシェパード犬だという。

「これは、立派な軍犬になるぞ」

 板倉大尉の喜びはひとしおだった。

 二頭の訓練はすぐさま始まる。いつ戦争があるかも分からない大陸での訓練は猛烈で、中には難しい課題もあった。しかし、金剛も那智も訓練をよくこなした。

「よしよし、金剛、那智。よくやったな。大尉、金剛も那智も本当に賢いですね」

「ああ。顔を見た瞬間にピンときたよ。二頭は立派な軍犬になる」

 金剛も那智もすぐに隊や訓練によく馴れ、隊でも評判の二頭となっていた。

 

イメージ 出典http://kiriken.web9.jp/gunken/md_story.html
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 昭和6918日。

 金剛、那智のいる奉天からほど近い柳条湖で関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件が起こった。満州事変の始まりである。

「金剛、那智。戦争が始まるぞ。お前たちの初めての仕事だ」

 この事件を受けて、隊には出撃の命令が出ていた。奉天の北に位置する、北大営という中国軍の兵舎が目標だった。話によると、北大営には12千人もの中国軍兵士が立てこもっているという。

 一方で軍犬班を合わせた隊の人数は5百という寡勢だった。

 この兵力差にあたり、夜襲という作戦が取られた。果たして、金剛、那智も夜襲の一員として参加することになったのである。

 金剛と那智に与えられた任務は伝令だった。

 中国軍の反撃の中、二頭は駆けまわった。ただでさえ人数の多い中国軍の反撃は激しさを増す。降り注ぐ弾の中、二頭は懸命に任務をこなしていた。

 北大営での戦闘は、夜半から翌朝6時半頃まで長引いた。夜でもあったため、見通しも決して良いとは言えなかった。その内に、隊の人間と二頭は離れてしまったのである。

 作戦は成功し、隊は北大営を制圧した。

 しかし、作戦が終了し、朝日が昇ろうとも、板倉大尉の許に金剛と那智が帰ってくることはなかった。

「金剛!那智!どこにいるんだ!」

 板倉大尉を含む軍犬班は、制圧した北大営の中、二頭を探してまわった。金剛と那智の名前を呼んでは、どこかで鳴いていないかと耳を澄ます。結局、この日金剛も那智も見つけることは出来なかった。

 事が発展したのは戦闘が終わって三日後のことだった。

 この日も軍犬班は北大営の中で金剛と那智を探しまわっていた。

「大尉!板倉大尉!こちらに願います!」

 手分けして探していた軍犬班の一人が板倉大尉を呼ぶ。その声色の必死さに、板倉大尉は呼ばれた方へ急いで向かった。

「大尉、これは金剛では?」

 部下が見つけた亡骸は確かに金剛だった。きっとあの弾の雨の中を懸命に駆けたのであろう。すでに身体は冷たく、腹部にこびり付いた赤黒い液体から、大尉は金剛の戦死を悟った。

「金剛、金剛。がんばったなあ」

 そう言って泣き崩れる部下を叱咤することは、今の大尉にはできなかった。ただ、涙を流すこともできず、金剛は名誉の戦死をしたのだと、大尉は自分に言い聞かせていた。

「板倉大尉!こちらに那智と思われる犬がおります!」

 他方でまた声が上がった。せめて那智だけは、と板倉大尉は願わずにはいられない。しかしその願いも虚しく、大尉が向かった先にあったのは那智の亡骸だった。

 二頭とも、任務を果たし立派に戦死を成しとげたのだった。

 板倉大尉は二頭の亡骸を葬り、北大営に墓標を立てた。軍犬班の皆も二頭が安らかに眠れるよう墓標に手を合わせる。

 軍犬班は金剛と那智を葬った後、奉天へと戻った。戻ってきた板倉大尉はすぐさま、机に向かい何かを書きつける。それは、金剛と那智が生まれ育った、青島の浅野さん宅に宛てた手紙だった。

 この時初めて、大尉の目頭は熱くなったが、それにも気にせず板倉大尉は懸命にペンを走らせた。手紙には今回の戦闘に金剛と那智も参加したことから始まり、激しい夜襲の中はぐれたことや二頭が立派に戦死を成しとげたことを書いた。

 最後に、二頭を手厚く弔ったことを記した板倉大尉は、その後また戦いの中に戻らねばならない。板倉大尉はこの手紙からまもなく、錦州において戦死をとげた。

 金剛と那智は奉天の守備隊の一角に墓碑が、また奉天の加茂国民学校に記念碑が建てられた。

 金剛と那智の話は小学校の国定教科書にも載り、子どもたちにその勇姿と感動を伝えた。

 その後、二頭の記念碑がある加茂国民学校で慰霊祭が開かれ、亡き板倉大尉の夫人が子どもたちの前に立って話をしようとしていた。

 彼女は子どもたちを一度見渡した後、息を吸って話を始めた。

「那智は中華民国の青島の浅野浩利さんのお家で生まれました。……

 目の前で話す夫人を、子どもたちはじっと見つめていた。

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3070.html#more

 

 

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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