江戸時代の社会福祉 農村は村落共同体、商家は大家族経営、家族や共同体内の相互扶助が基本

斉藤みちる


江戸時代の庄屋 イメージ
出典http://kamogarden.web.fc2.com/kamoso.htm

 

最近、江戸時代の身分制度である「士農工商」の序列はなかったと、話題になった江戸時代。

 

私も学校で習った世代ですので軽く衝撃を受けました。現在では、教科書にも載せられていないそうです。まさに「階級と階級とのあいだで発生する社会的格差」という左翼の階級闘争の思想が作り上げた空想の話だったんですね。

 

江戸時代の社会福祉

江戸時代、庶民は武士より短命で、その因は天然痘にかっかって死亡する乳児率が多かったからです。しかし成人すれば江戸時代は70歳くらいまで生きる人も珍しくありませんでした。

 

江戸時代は、農村は村落共同体として、商家は大家族経営として、家族や共同体内の相互扶助が基本でした。家の中に介護者がいないお年寄りは、親類縁者はもとより、村人たちに支えられていました。村の長である、比較的裕福な名主はもとより、地域支配を隅々まで徹底する目的で組織された五人組というご近所ネットワークもここでその力を発揮します。その他村人も介護に当たります。

 

救済の制度は民衆の不満を抑えて隅々まで支配を徹底する役割も担いました。しかし江戸時代中期、都市部から農村にお金が入ってくると、格差が生まれ、また度重なる飢饉により、農業だけでは食べていけない村人が続出します。若者は泣く泣く村を離れ、大都市江戸に出稼ぎに出ました。

 

そして村に若者がいなくなり、老人の人口が増え、少子化という現代と全く同じ問題を抱え、盤石だったはずの江戸時代の村落共同体が衰退していきます。

 

しかし、江戸時代後期に松平定信(1758~1829)により改革された制度は、特筆されるものでした。江戸で開始した七分積金(しちぶつみきん)の制度です。これは救荒(きゅうこう)のための基金で、備荒や貧民孤児の救済に使われました。のち明治初年、多く残金があったため、東京府庁の建設や架橋工事、養育院の設立に役立てられました。

 

また、キリスト教の禁止や宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう)による戸籍管理が行われるなど、宗教は幕府の管理体制に組み込まれており、宗教による自発的な慈善は必ずしも発展しませんでした。

 

 

 

 斉藤みちる プロフィール

社会活動家/「みんなの社会科」管理人

その傍らオラクルカードを中心とした占いもしております。ヒット記事『陸上自衛隊レンジャー訓練』。福祉力検定3級。

Twitter @tikyuuhattenn