宿場の恋

高城由良


 

 江戸の宿場町ともなれば大小様々な旅籠屋がひしめき合い、人の往来も増える。

 朝食の時間が終わり、旅人が出た旅籠屋は、今度は朝の後片付けと夜の集客に向けて慌ただしく動いていた。

 

 

「おすみ、おすみや。あんた、ちょっと手が空いてるだろ。外を手伝ってくれんかね」

「あいよぉ、女将さん。今行くよぉ」

 旅籠屋の女将に呼ばれたおすみは、この旅籠屋で働く飯盛女だ。おすみは女将の声のする方へと返事をすると、旅籠屋の外に出る。

 ふと、すぐ近くの路地辺りで人の言い合うような声が聞こえ、おすみは好奇心から路地を覗いたのだった。

「おめえ、この徳利どうしてくれんでぇ」

「まぁだたっぷり、酒が入ってたんだがよう」

 聞こえたのは明らかにガラの悪い二人の男の声で、おすみは嫌なものを見た、と鼻の頭に皺を寄せた。二人の男が絡んでいるのは、どうも学問でもしているような青年である。青年は男二人に頭を下げていた。

「まことに申し訳なく思っております」

 見ると、男たちと青年の間には割れた徳利が落ちており、徳利に入っていただろう酒が水たまりをつくっていた。きっと、ぶつかりでもして落としたんだろう。

「だから、酒代で許してやるってんだ」

「それくらいするのが筋ってもんじゃねぇのか」

「申し訳ない。あいにく、私は見ての通り生活にも貧しており、そのような大金は持ちあわせていないのです」

 返事を聞いた男たちが、青年に掴みかかろうとするのを見たおすみは思わず飛び出て叱りつけるように大声を上げていた。

「何やってんだい、あんたたち!良い大人が学生さん捕まえて恥ずかしくないのかい!」

「なんでぇ、この女!」

「酒代だったらあたいがくれてやるよ!ここにいられちゃ商売の邪魔だ!さあ、行った行った!」

 おすみは懐から金を出すと、男たちに押し付けて追い払った。男たちがぶつぶつ言いながら去っていくのを見たおすみは、ふとそばにいる青年を見る。

 青年はおすみに頭を下げていた。

「どこぞの方か知りませんが、まことにありがとうございます」

 丁寧なその礼に、おすみは気後れをしてしまう。ついついおせっかいが出てしまった恥ずかしさを紛らわすように、おすみは言葉を続けた。

「いいんだよ。それより頭を上げておくれよ」

「かならずお金はお返しします」

「でもあんた」

「必ず、返します。月々少しずつでも、返しますので」

 青年の目は嘘をつく素振りを全く見せなかった。信頼できる目だ。

「あの、それでも一度に返せるお金は限られます。何せ、今は月二分でやりくりしているもので……」

「月二分で。あんた、それじゃ、あたいがお金をもらうのは、いくら返してもらってると言ったって気が引けるよ。何か学びに江戸に来たんだったらきちんと学びな。あたいが月々、もう二分あんたに届けてあげるから」

 おすみは、この青年がどことなく放っておけない気持ちになった。

 結局二人は押し問答の末、おすみが毎月二分をこの青年に渡すことになったのだった。青年の名は松崎松五郎といい、林述斎の私塾で儒学などを学んでいるということが分かった。

 松五郎は律儀な性格なのか、金をもらっているのにその上届けてもらうのは申し訳ないと、途中から、おすみのいる旅籠屋へと金をもらいに来た。

 しかし、それがある月、ぱたりと音沙汰が無くなったのだ。松五郎の住む長屋に行ってもずっと不在にしており、おすみは松五郎の身に何かあったのではないかと少し不安を募らせていた。

「おすみ、あんた騙されたのよ」

「そうよぉ。あんな塾生さんのことなんか忘れちゃいなさい」

 日が経つにつれ、一緒に旅籠屋で暮らしている飯盛女たちはおすみにそう言われた。しかし、おすみには松五郎のあの目がどうしても嘘をついているようには思えなかったのだ。

 それからまた、幾月か経ったある日のことだった。

 その日も宿場町は行き交う旅人でひしめき合っていた。おすみの働く旅籠屋も例外ではなく、旅人が宿を求めてやってくる。

 ふと、旅籠屋の入り口が陰ったと思えば、駕籠から一人の若侍が下りている。御武家様か、と番頭が侍に頭を下げたところ、侍は意外な名前を口にした。

「こちらに、おすみさんはまだいらっしゃいますか」

「おすみ、ですかい」

「さよう」

 おすみの名前を聞いた番頭は一度面食らったものの、何とか、裏向きに声を掛ける。

「おすみ、おすみや。お前、女将さんとちょいと表に来てくれんかね」

「何です、番頭さん」

 おすみは変わらず、この旅籠屋で働いていて、呼ばれた通り表にひょっこりと顔を出した。女将さんも遅れて表に出てくる。

「おすみ、お前、こんな立派な御武家様に知り合いがいたのかい」

「いいや、いないはずですけどねぇ」

 おすみは番頭にそう答えると、若侍の方がくすりと笑って、懐から布に包んだ小判を取り出す。おすみはその様子をどこか引っかかる思いで眺めていた。

 

 

「おすみさん。路地でお借りした六両、きっちりお返しに上がりました」

 そう言った侍は、小奇麗になった松五郎だった。おすみは驚いて声も出せない様子だったが、松五郎は話を続けた。

「おすみさんのおかげで、塾をようやく卒業しましてね。この度、掛川藩の召し抱えになったんです。これから掛川へ向かうところです。本当にありがとうございました」

 そう言って頭を下げた姿は、確かにあの日路地で見た松五郎の姿だった。やはり騙されていなかった。松五郎は誠実な青年だったのだと、おすみも嬉しくなり、また、松五郎が立派になった姿に一層嬉しさが増した思いだった。

「つきましては、おすみさん。私の妻になってはくださらぬか」

 松五郎の言葉をおすみは受け取った。その後、二人はめでたく祝言をあげたのである。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3087.html

 

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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