アフリカの歴史 ~蛮族扱いは筋違い!繁栄していたサハラ以南の国々~

斉藤みちる


ロシアよりずっと大きいアフリカ
ロシアよりずっと大きいアフリカ

 

そなたは、「アフリカ」という言葉を聞いて連想するのはどのようなことでしょうか?

 

貧困、飢餓、人種差別、黒人奴隷・・・。アフリカ諸国の現状や近代以降のネガティブな問題ばかりが、思い出されるのではないでしょうか。

 

果たしてそれが、本当のアフリカの姿なのでしょうか。

 

奴隷交易以前のアフリカ

ヨーロッパ人がアフリカにやって来る以前のアフリカは、どのような様子だったのか。アフリカの南には多くの金、ゴールドですね。が眠っていました。アフリカの民はこの金を使って周辺諸国と貿易を行い、高度な文化を持つ国家を形成しいてたことが分かってきています。

 

コンゴ王国では美しい絹やびろうどの衣装をまとった人々が行き交う広々とした街道が何マイルも続いていたと言います。

 

1490年に最初のポルトガル人大布教団が来た時点では、コンゴ王とポルトガル王は、兄弟王としての対等な関係を結んでいる。よく整備された官僚組織も持っていました。

 

マリ王国の国王はメッカ巡礼の折、およそ15トンにも及ぶ金を持参し、道中で湯水のごとくそれらを使いながら旅をしたため、エジプトのカイロではその後12年にも渡って金の価格暴落が起こったとか。

 

ジンバブエやガーナも、古くは立派な文明を持った王国でした。ジンバブエに残された城壁跡などを見れば、その後ヨーロッパ人が流布した蛮族や獣の如き物などではなかったことが分かります。

 

なぜ、アフリカの国々の起源や歴史は、こんなにも私たちに知られていないのでしょうか。

 

知られることのなかったアフリカの歴史

そもそも、歴史を文字で書き残すことに固執したのはヨーロッパ人やチャイニーズくらいのものなのです。インドやアジアの多くの国々、南北新大陸、そしてアフリカの国々は文字にして歴史を書き残すことを殆どしていません。ですから、ヨーロッパやチャイナの古い文献に僅かな記録を見出すことしかできないのです。

 

それでも、近代になって、遺跡の発掘やアフリカと交易のあったイスラムの国々や宗教的な文献などから、近代以前のアフリカが豊かな文化を持った国々のある土地であったことが分かってきました。

 

キリンの群れ
蹂躙されるアフリカ

ではなぜ、暗黒大陸と呼ばれ、アフリカは未開の地であるような印象を私たちは持っているのでしょうか。それはヨーロッパがアメリカ大陸を獲得した際、労働力をアフリカから調達しようとして、アフリカの文明を蹂躙した経緯があるからです。

 

15世紀にスペイン、ポルトガルでアフリカの黒人を奴隷として使役する行為が始まりました。新大陸を植民地にすると、労働力が不足し、大西洋奴隷貿易が開始され、主としてアフリカ西岸から多くの黒人奴隷が、中南米・西インド諸島に送られることとなります。

 

海岸付近の栄えた町は破壊され人々は奴隷として連れ去られました。そして人間を奴隷化することの正当性を唱えるために、当時のヨーロッパの支配階級の人々がアフリカの民は蛮族であり、獣に等しいという、偽りのアフリカ像を作り上げました。現代においてもこの偏見は、まだ消えているとはいえません。

 

そして、アフリカから富や産業を奪い、本当に貧しく文明の損なわれた土地にしてしまったのです。

 

また、いくつかのところで生じた現地住民たちの絶滅は、ホロコーストの先行事例に当たるものでした。

 

 

 

 斉藤みちる プロフィール

社会活動家/「みんなの社会科」管理人

その傍らオラクルカードを中心とした占いもしております。ヒット記事『陸上自衛隊レンジャー訓練』。福祉力検定3級。

Twitter @tikyuuhattenn