ある藩士の親不孝

高城由良


赤穂の場所、今の赤穂市である
赤穂の場所、今の赤穂市である

 

 惣右衛門は赤穂への道を急いでいた。

 先日までは京で病に臥せった大石内蔵助の看病を務めていた惣右衛門だったが、京に滞在して数日後、内蔵助へと帰郷を申し出たのである。

 赤穂には惣右衛門の母がいた。年老いた母だ。

 内蔵助から相談の書状を受け取り、家を出て京へと行くことを決めた時に母と話したことを惣右衛門は思い出していた。

 惣右衛門が仕えた赤穂藩主、浅野内匠頭が切腹を言いつけられたことがそもそもの発端である。主のみが罰を言いつけられたのが我慢できないのは大石内蔵助はじめ、藩士の者たちの総意だ。この話は内密に、と書状にあった通り惣右衛門は母にも話をしていなかった。

 しかし、とうとう家を出る時分になって母に全てを黙っておくことはできなかった。

 主君のために命を散らすことは、なんてことはない。ただ、年老いた母の行く末が気になっていた。惣右衛門が亡くなれば、その後母の世話をする者がいなくなるからだ。

 黙っていた惣右衛門が主君の仇のために京へ上るということを言い当てたのは母だった。

 忠義と孝行が両立できないというのは母の言葉である。

 武士として生まれたならば、主への忠義を通せ。未練のある働きで遅れを取り帰ってくるようならば二度と会いはしない、と静かにそう言った惣右衛門の母は確かに武家の女だった。

 惣右衛門の未練を断ち切るためだろうか。惣右衛門の母は彼が家を出るときに、今生の対面はこれっきりだ、とも言ってのけた。こうした毅然とした態度の母を惣右衛門は尊敬していた。そのため、なおさら母の安否が気がかりでならなかったのだ。

 

出典http://www.ab.auone-net.jp/~tadeho48/akogisi/gisikojin/ohoisitikara.html
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 半月後、惣右衛門は言ったこととは正反対に赤穂の自宅に着き、真っ先に母への挨拶に向かった。

 しかし、母の表情は険しく、惣右衛門を訝しんだ様子で見ている。暗に戻ってくるなと言われていたにも関わらず、またこの家の敷居を跨いだのだから母の表情も頷けるものがある。惣右衛門は母の怒りも重々承知で対面していた。

「大石様が京にて病に伏せられておりますれば、江戸への出立の日取りも先に伸びまして、こうして帰ってくることができましてございます」

 惣右衛門が一度頭を下げて告げるが、母の気配は変わらない。惣右衛門が頭を上げて向き合っても、母はやはり表情を変えず、しばらく口も開かなかった。

 惣右衛門は母と酒を酌み交わした。何度か盃を傾けるうちに母も口を開くようになり、ようやっと話をすることができた惣右衛門はどこか安心した心持ちでいた。

 楽しい時間は過ぎるのも早く、すぐに夜は更けた。

「おや、もうこんな時間か。母上、そろそろ床に就きましょう。体に障ってはなりませぬゆえ」

……そうだねぇ。それじゃあそろそろ床に就こうか。お前も早く寝所におあがりよ」

「ええ、分かっております。母上」

 惣右衛門と母はその言葉を最後に、それぞれ寝所へと向かった。

 

 翌朝、惣右衛門は寝所から出て居間へと向かった。しかし、どこか違和感を感じていた。いつも夜明けと共に起き出す母がいないのだ。気になった惣右衛門は居間を覗いてみたが誰もおらず、台所の方にも下女しかいないようだった。

「母上はまだ起きていないのか」

 惣右衛門は台所の下女に声をかける。下女は一瞬きょとんとした顔を作った後、ようやく事態を把握したようだった。

「そういえば奥様、今日はまだいらっしゃっておりませんね。いつもはもっと早くいらっしゃるのに」

 そう言うと下女は様子を窺うため、惣右衛門の母の寝所のある方へと向かう。惣右衛門が居間に戻ろうとした時、女の悲鳴が上がった。母の寝所の方からだ。惣右衛門は悲鳴のした方へ走る。見えた母の寝所の中を覗くと、下女が蹲って泣いている。

 母が、持っていた短刀で自害していた。

「母上、なぜ……

 突然の出来事に頭が真っ白になった惣右衛門も母の布団のそばで崩れ落ちる。ふと、かさりと何かが音を立てる。惣右衛門の足元に一通の文があった。

 惣右衛門はそろそろと文を広げる。そこにあったのは確かに母の字だった。

 

先日、家を出ると言った際、私は何度もお前に母はいないものと思えと言って聞かせましたね。しかしお前はこうやって帰ってきました。

これは孝行に見えるかもしれませんが親不孝の行いなのです。

お前が忠義を通さず戻ってきたのも、母がこうして生きながらえているからなのでしょう。ですから、私の死でもって義を教え、武士の道を示してみせます。これは子を思う故の行いなのです。

もう五十を超えたお前に今更言うことではないでしょうが、町人や百姓は義、不義に関わらず命を大切に、父母の老後の面倒もみるでしょう。これも確かに人の道です。

しかし、武士として生まれたからには、主からの恩や忠義に命を捨てても報いねばなりません。これからは堅く心を決め、亡き主君のためにも命を捨てる覚悟で臨みなさい。

 

「母上……

 母の文字、一字一字が武士の道を示していた。惣右衛門は心に深い後悔の念が浮かんでくる。しかし、母が惣右衛門に望んでいることはそれとは異なることである。

 心を堅く決めた惣右衛門は、一人京への道を歩み出した。

 

 

 

参考文献 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3136.html

 

 

□高城由良

九州地方在中。趣味で九州北部の戦国史を勉強しているフリーランスです。

 

 

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