ゼロから学ぶ安楽死

斉藤みちる


 

安楽死の議論は、もはや避けては通れず、頭ごなしに否定するだけではいられない課題ではないでしょうか。

 

当記事では、この「安楽死」とはどのようなものか、安楽死を選ぶ際にどのような問題があるのかなど、詳しく情報をまとめています。

 

スイスの安楽死に立ち会ったルポ
〝旅立ち〟の前日、診察に臨むドリス
〝旅立ち〟の前日、診察に臨むドリス 出典http://www.news-postseven.com/archives/20160310_392099.html?IMAGE&PAGE=1
 「ドリス、用意はできていますか」

「ええ……」

突如、英国人の老婦の青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。右手に握っていたくしゃくしゃになったティッシュで目元を拭い、震えながらも振り絞った声で、次はこう囁いた。

「うう、ごめんなさい。こうなることは前々から分かっていたというのに」

仰向けになった老婦に、プライシック女医が、「大丈夫よ」と微笑み、質問を始めた。

「名前と生年月日を教えてください」

「ドリス・ハーツ(仮名)、1934412日」

「あなたはなぜ、ここにやって来たのですか」

「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいないからです」

「検査を望まないのは、あなたがこれまで人生を精一杯謳歌してきたからですか」

「ええ、私の人生は最高でした。望み通りの人生を過ごしてきたわ。思い通りに生きられなくなったら、その時が私にとっての筋目だって考えてきたの」

「私はあなたに点滴の針を入れ、ストッパーのロールを付けました。あなたがそのロールを開くことで、何が起こるか分かっていますか」

「はい、私は死ぬのです」

「ドリス、心の用意ができたら、いつ開けても構いませんよ」

 この瞬間、老婦は何を思い浮かべたのだろうか。わずかな呼吸と共に、自らの手でロールを開き、そっと目を閉じた。女医は、老婦の横に立ち、「もう大丈夫よ、もう少しで楽になるわ」とつぶやいた。

151617秒……、そして20秒が経過した時、老婦の口が半開きになり、頭部が右の枕元にコクリと垂れた。まるで、テレビの前でうたた寝を始めたようだった。

 2016128日午前926分。スイス北西部・バーゼルのとある小さなアパートで、プライシック女医による自殺幇助が終了した。

(中略)

 ほんの数分前まで、笑顔でスペイン旅行の思い出を語っていた彼女の顔を覗き込んでみる。確かに死んでいる。苦しみながら、死を遂げたのではない。今、ここで、彼女は自らの血液に毒を流し込み、「他人に見守られながら自殺」したのだ。

出典 SAPIO 20164月号 P102

  スイスは「自殺幇助」のみが許可されている。

 医師が見守ると、患者自身が薬物を投与して自殺する――というものだ。

出典 SAPIO 20164月号 P103

スイスでは、安楽死が認められている。このため、世界中から、安楽死をもとめる難病患者や末期ガン、心臓疾患の患者たちがツアーでやってきては自殺している。(中略)自殺幇助機関のひとつ「エグジット」はスイス在住者だけが登録可能で、かかる費用は年会費の約3千円。もうひとつの機関「ディグニタス」は外国人も登録することができ、入会金と諸費用を合わせて安楽死には約70万円が必要だ。(中略)

「ディグニタス」によると、安楽死を幇助するためには、会員の医療記録を徹底的に分析し、生きつづけていくのが困難だと判断された場合のみ、致死薬が処方される。うつ病などの精神疾患は安楽死の対象外となるという。さらに致死薬の処方が可能と判断された患者の8割は、安楽死が可能だとわかった時点で、自殺願望が弱まるという。また、適切に幇助をすることで自殺未遂の後遺症を防ぐという利点がある、としている。

出典 http://healthpress.jp/2015/04/70-2.html

安楽死の定義

安楽死の定義は論者によって、増えたリ減ったりするようです。

 

  安楽死には、積極的安楽死と消極的安楽死の二つがあります。まず、この二つを明確に区別して考えなければなりません。

積極的安楽死というのは、患者の死期を早めることを直接の目的とする医学的処置(中略)消極的安楽死は、延命のための人工的な特別な処置を一定の予測のもとに中止したり、あるいは最初から使わないで、自然のままに死を迎えようとすることを言います。

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P106,107

   純粋安楽死  生命の短縮を伴わないで苦痛を除去する場合。

   間接的安楽死  苦痛緩和のための薬剤使用による副作用として死期を早める場合。

   消極的安楽死  積極的治療をしないことにより死期を早める場合。

   積極的安楽死  人の生命を自然の死期に先立って直接短縮する場合。

このように分類される安楽死の類型のうち、純粋安楽死以外は、自然の死期に先立って患者の生命を短縮するものであり、刑法上は殺人(刑199条)・自殺関与・同意殺人(刑202条)に該当する可能性がある。たとえ行為者の動機が、患者の様子を見るに見かねた上でのものであった(いわゆる慈悲殺、mercy killing)としても、検討の対象とならざるをえないことになる。もっとも、刑事法の学説上は、積極的安楽死に対しても違法性阻却がありうるとするのが多数説とされる。

出典 医療入門 4 手嶋 豊著 P279,280

死神の鎌を持った眼鏡魔女(ハロウィンコスプレ) [モデル:茜さや]
安楽死の事件

安楽死をめぐる事件についてです。

 

カレン事件

 安楽死に対する関心を呼んだ第一号が、一九七五年四月にアメリカのニュージャージー州で起こったカレン・アン・クィンランの事件でした。二一歳の女性カレンが友人宅のパーティーでジンに精神安定剤を混ぜて飲み、回復不能の昏睡状態となった事件です。

 両親は、娘が植物状態で生き続けるよりも、生命維持装置をはずして安らかに死なせたいと願いました。神父とも相談のうえ、父親が担当医に頼みましたが、医師はこれを拒否しました。そこでこの問題は裁判で争われ、一九七六年月、ニュージャージー州最高裁は両親の希望を認める判決をくだしました。その年の九月カレンから生命維持装置が取りはずされましたが、彼女は自力で呼吸を続けて、その後九年余りも植物状態のまま生き続けました。そして、ついに意識を回復することなく、一九九五年六月に肺炎を併発して亡くなったのです。

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P109,110

 

東海大学附属病院事件

 一九九一年四月に、神奈川県伊勢原市の東海大学附属病院で起こった事件は、安楽死をめぐる問題点を改めて提起した形になりました。同病院に入院中の五八歳の男性患者は、骨髄のがんと診断され、激痛を伴う症状は薬物療法の限界に達していました。

 彼の妻と長男は、患者が回復不能なことを知らされていたので、もうこれ以上の苦痛からは解放させたいと望んでいたようです。四月一三日になると、患者の容態はさらに悪化しました。

 そこで、父親の苦しみを見かねた息子の懇願を受けた医師が、自身の判断だけで塩化カリウムの原液を注射して、患者を死に至らしめたというのがこの事件の経過のあらましです。

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P111

 

川崎共同病院事件

 これまでに医師が関与した安楽死または尊厳死、延命治療の中止と称される事件のうち、実際に起訴されたのは一九九八年一一月に起こった川崎共同病院事件だけです。

 同病院に気管支喘息重責発作により心肺停止状態で運ばれてきた五八歳の男性は、病院到着後、救急蘇生処置で心配は再開しましたが、低酸素性脳損傷で意識は回復せず、人工呼吸器を装着されて入院しました。その後、患者は自発呼吸が見られて人工呼吸器が取りはずされ、気管チューブは挿入されていました。

 担当医師は家庭に、患者は九九パーセント植物状態で脳死状態だと説明し、家族は患者の気管チューブを取りはずすことに同意したとされました。

 その後、この医師がチューブを抜き取ったところ、予想に反して患者が身体をのけぞらせるなど苦悶の様子を示したため、鎮静剤を静脈注射しましたが、あまり効果が認められないため同僚の医師に助言を求め、その示唆に基づいて筋弛緩剤を看護師に静脈注射させました。注射後、数分で呼吸が停止し、死に至ったのでした。

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P112,113

横浜地判平成17325日判事1909130項は、医師を殺人罪として懲役3年、執行猶予5年とした。本件の控訴審(東京高判平成19228年判タ1237153項)も、殺人罪を認めた(懲役16月、執行猶予3年)。最高裁も、家族からの要請は被害者の病状について適切な情報が伝えられたものではなく、被害者の推定的意思に基づくということもできないとして、抜管行為は法律上許容される治療中止には当たらず、薬剤投与と併せて殺人行為を構成するとした原判断は正当として、上告を棄却した(最決平成21127日刑集63111899頁[94])。

出典 医療入門 4 手嶋 豊著 P281

諸外国の動向

諸外国における安楽死の動向ついては、安楽死に関する法律をまとめました。

 

オランダでは、一九九三年に改正遺体埋葬法が成立し、安楽死処置を行った医師を免責するための手続きが明確にされました。

   患者の自由意思に基づく明確な要請がある。

   患者に耐えがたい苦痛がある。

   他の医師の意見を求める。

などの二五項目にわたる厳しいガイドラインを満たした場合には、医師が患者の自殺を幇助しても訴追されないという内容です。これはむしろ、無秩序な安楽死を規制する意味合いが強いです。

 その後、二〇〇一年に安楽死法が成立し、刑法が改正され、安楽死を刑法犯罪としないことが定められました。オランダは安楽死を法的に容認する国家となったのでした。この法律は一二歳以上から適用されます。ただし、十六歳未満の場合は、親や本人の後見人が安楽死に同意した場合で、かつ本人に判断能力があると認められる場合、医師は親や本人の後見人と相談する必用が定められています。

 その後、ベルギーでは、二〇〇二年に安楽死法が可決されました。ルクセンブルクでも、二〇〇八年に安楽死法が可決されました。

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P114,115

スイスは非営利に限って、自殺幇助が合法な国。

出典 https://twitter.com/sasakitoshinao/status/541368495792218113

アメリカ・オレゴン州では1997年に医師による自殺幇助を認める州法が成立し6ヵ月以下の余命であるオレゴンに住所を有する成人(18歳以上)患者が正常な精神状態で自発的に尊厳死を求め、2名以上の医師の診断が一致して余命が6ヵ月以下であることが認められるときに、一定の手続きのものに、致死薬の処方を求めることができるとされる(中略)この種の立法はワシントン州、ヴァーモント州などでも行われているが、現在のところ大半の州では違法である。

出典 医療入門 4 手嶋 豊著 P282

アメリカでは「安楽死や自殺幇助は違法」「尊厳死は合法」という認識が広まっている。だが、死に対して尊厳があるか否かの判断について、アメリカの医療関係者ですら、うまく説明できない(後略)

出典 http://news.ameba.jp/20161023-590/

安楽死容認に対する懸念

何を以て純粋たる本人の意志といえるかが焦点になりそうですね。

 

ひとたび安楽死を肯定すると「社会に負担をかける人々」に対する抹殺が起こりうるのではないか(「滑りやすい坂道」)という問題もある。

(中略)結局、自己決定に名を借りた死の強制を生じる懸念があり、適切ではないとの批判もありえよう。

出典 医療入門 4 手嶋 豊著 P282

とかく高齢の女性は、まわりから死んだほうがよいのではないかとみられる傾向もありますから、死ぬ権利が、死ぬ義務のように感じることもありえる(後略)

出典 新版 死とどう向き合うか アルフォンス・デーケン著 P116

人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死や自殺幇助を選ぶのではなく、周りに迷惑をかけたくないという理由から選ぶ傾向のほうが強いと言います。私が出会った多くの患者の中で、深刻な親子問題を抱える人たちほど、患者が死期を早めようとしていました

出典 http://news.ameba.jp/20161023-590/

十字架の並んだ墓場
安楽死をする権利

安楽死を選ぶ権利はあるのか。

 

日本でも、死を選択することが憲法第一三条の基本的人権と考えられるなら(中略)医師の幇助のもと死ぬことも認めるべきではあるまいか。そのような患者の希望に応じて、死ぬための薬物を処方し、患者に死ぬことを可能にしたような場合に、その医師を自殺幇助として処罰することは、それゆえ憲法第一三条に反すると言うべきであろう。

出典 スターバックスでラテを飲みながら 憲法を考える 松井茂記編著 P22,23

憲法第一三条の生命権もしくは自己決定権の中に含まれる死を選択する権利には医師に死なせてもらう権利が含まれる(後略)

出典 スターバックスでラテを飲みながら 憲法を考える 松井茂記編著 P24

 患者の希望に応じて安楽死を実施した医師を同意殺人罪で起訴、処罰することは憲法第一三条に反すると言わざるをえないのではなかろうか。

出典 スターバックスでラテを飲みながら 憲法を考える 松井茂記編著 P26

まとめ

日本の現状では、医師が延命治療を行わずに結果として患者が死んでしまうことは、罪にならないようですが、安楽死の希望に応えて薬物投与することはきわめて困難です。それだけに、安楽死が認められる場合を法律上明記しない限り、安心して安楽死できる環境は整いません。

 

この記事の情報収集をしていくなかで「臨床宗教師」というものを知りました。「死んだらあの世にいくのか?」「死んだら無になってしまうのか?」 癌などで余命わずかとなり、死期が迫ったとき、誰しもが抱く不安や恐怖。これらの不安を和らげるため、全国の病院に、僧侶や牧師が入り、末期患者に寄り添い始めているというものです。

 

末期患者の多い病院は、スタッフが完全に「死の現場」に慣れてしまっているし、患者の家族は介護や看護で疲れ果ててしまっているとなると、患者自身が一番求めている事をゆっくりしてあげられるのは臨床宗教師だとなるのかもしれません。安楽死も目指すところは同じでしょう。

 

日本には、「死ぬことなんか言っちゃいけません!」という、言ったことが現実になるという言霊信仰があります。しかし、誰でも迎える死だからこそ、死について考えることは自然なことであると私は思います。

 

 

 

 斉藤みちる プロフィール

社会活動家/「みんなの社会科」管理人

その傍らオラクルカードを中心とした占いもしております。ヒット記事『陸上自衛隊レンジャー訓練』。福祉力検定3級。

Twitter @tikyuuhattenn